題名のとおりです。コナンをテクストにミステリ漫画の面白さについて語ります。といってもここで記すのはミステリ漫画の面白さのごく一部であり、総論的なものではありません。こういう読みかたもできるよね、という読みかたの整理の過程ともいえるでしょう。
用いるのは三巻に登場する「豪華客船殺人事件」です。今だと無料で読めるみたいです。
当然、以下ではこの部分のネタバラシをするので、読むあるいはアニメでみるなどをしてください。
※ネタバレ注意
まずとても大きく、ミステリ漫画のもつ特有の面白さについて考えてみます。もちろん色々とありますが、そのひとつには文章に起こすとあきらかに浮いてしまうような手がかり、あるいは文章に起こしても伝わりにくいような「絵」を手がかりにしてミステリを作ることができるということが挙げられるでしょう。
その代表例として、それぞれ、金田一に出てくる「トイレの中蓋」*1やC.M.B.に出てくる「キルト」*2という短編などがあります。後者などは、まさか文章だけでは表現できないのではないでしょうか。推理小説として「キルト」をやるには、図の挿入が必須になることでしょう。
次に、推理小説ファンのいう「ミステリとしての面白さ」について考えます。とはいっても言わずもがなですが、「ミステリとしての面白さ」など無数にあるわけです。そのなかでも本格ミステリのファンがよくいう「推理の面白さ」のそのごく一部についてを、ここでは言語化してみましょう。
推理に必要なものに「手がかり」というものがあります。この手がかりがどのように物語上に出現し、どのように推理に組み込まれるか、が推理の面白さに大きく寄与するわけです。このとき、手がかりの量が最小限だと、推理小説ファンは作者の技巧を感じるように思います。もちろん大量に出てきた手がかりが、想像を超えた結びつきをしたときに感じる興奮というのもありますが、ここではそれはわきにおいておきましょう。
手がかりの量が最小限であるということは、ひとつの手がかりが推理に多面的に組み込まれていると言い換えてもいいでしょう。「あれはそういう見方もできたのか!」というのが連続することにより気持ちが昂るわけです。
具体的にこの昂りを味わえる作品を挙げておきます。エラリー・クイーンの『オランダ靴の謎』に出てくる「オランダ靴」や青崎有吾『体育館の殺人』に出てくる「傘」です。読んでみれば分かります。小説ですが、どちらも既に歴史に名を残した名作ですし、読んで損はありません。
閑話休題。
さてさてここまでに出てきた「ミステリ漫画のミステリとしての面白さ」なる胡乱なものの一部をまとめると、
- 文章に起こすとあきらかに浮いてしまうような手がかり、あるいは文章に起こしても伝わりにくいような「絵」を手がかりにしてミステリを作っている。
- ひとつの手がかりが推理に多面的に組み込まれている。
ということになるでしょう。再三言っていますが、これはあくまでも面白さのごく一部です。こうでなければミステリ漫画は面白くならないといっているわけではありません。逆にこうでないと面白くないだろうといっている人がいたら、それはもぐりのミステリファンです。ミステリにはもっと広遠な面白さがあります。
とはいえ、上記のようにミステリ漫画が完成されていると、技巧に唸るのは確かです。そしてそのテクニックが味わえる作品のひとつが、コナンの「豪華客船殺人事件」なのです。
※ここから本当に、具体的にネタバレをしていきます。
「豪華客船殺人事件」の推理に出てくる重要な手がかりといえば、そう、現場に残された血しぶきの様子です。本事件では、その様子が以下の一コマで提示されます。
コナンくんの推理によって明らかになりますが、上の一コマ(+血飛沫にのこったパンの欠片)だけで犯人の候補が論理的に絞れ、かつ事件の様子も推理できる、というとても優れた手がかりなのです。
論理を整理してみましょう。まず上のコマから得られる情報です。
- ドア付近まで血飛沫が飛んでいる。
- ドアの下枠に血飛沫が残っている。
- 部屋の外には血飛沫は一切ない。
まず、コナンが注目したのは2でした。この2から、他殺の可能性が残っていること、それにより食堂にいなかった七名が容疑者の候補にあたること、他殺であったときの事件の状況(=密室のでき方)を導き出しています。これにより、事件が事件として物語に立ち上がってくるわけです。*3
次にコナンが目を向けたのが3でした。ドア付近、あるいはドア枠まで血飛沫が飛んでいること(1,2)、ドア枠の血飛沫は端にできるようなものではなく円形であること(2)、そもそも2によってドア付近で殺害されていることが明らかになっていること、であるのになぜか部屋の外には血飛沫がない、というのが3の状況です。もちろん偶然血飛沫が飛ばなかったとみることも不可能ではないですが、少なくともここまで不可解であるかぎり本当に血飛沫がなかったのかを確認する作業は行うでしょう。そこでコナンはやはり血飛沫が払拭されていたことを発見します。それによって一番疑わしかった、ドア前に落ちてあった花に通ずる容疑者が犯人候補から演繹的に消去されるのです。
そして部屋の外を見たからには中を見るのも道理でしょう。そこでコナンはパンの欠片を発見するわけです。この欠片が、花と同じように犯人が他人を貶めるための罠ではないことが、まず2によって推理された事件の状況から導かれます。それにより、パンの欠片が真犯人を指す致命的な物証であることが論理的に担保されるのです。実際コナンの推理でも最後に犯人に対して突きつけたのはこのパンの欠片でした。
これだけ分かれば、パンの欠片に木炭の痕跡があったと知らない読者はともかく、知っているコナンくんにとってはかなりの蓋然性を持って真犯人を特定できてしまうのです。たった血飛沫の手がかりだけで。
本作はこのあと、読者への情報の提供として第三の事件(コナン曰く墓穴)が起き、確定的に犯人を名指しすることができるようになります。この第三のあたりまえのようでいて、目が眩んでしまう部分を明らかにする古典的な論法も素晴らしいのですが、とはいえ血飛沫によってかけた強い疑いを傍証していくという過程でしかないのです。
そして、この血飛沫の手がかりを文章に起こすのは至難の技です。仮に起こそうとすれば、血飛沫の様子を事細かに記すことが必要になり、それはあまりにも不自然ですし、なんといっても一コマというシンプルさが消えてしまいます。この素晴らしい手がかりは、漫画であることを活かした漫画ならではのものなのです。
この「豪華客船殺人事件」が「ミステリ漫画の面白さ」をふんだんに含んだ作品のひとつであることを長々と説明してきましたが、このような作品はコナンの中にも色々とあります。近いところだと、「6月の花嫁殺人事件」*4の「空き缶」などがこの系譜にあたるでしょう。
まあとにもかくにも、ミステリ漫画の面白さにはこんな側面があるよねということと、「コナンはミステリとして......」といわれることもあるけれど、ちゃんと読めば「ミステリとして面白い」(傲慢ですね)作品もあって、で、ミステリとして面白いというのはこういう感じなんですということが伝わればいいなと思います。