載籍浩瀚

積んで詰む

ジョン・スラデック『見えないグリーン』

ミステリ好きの集まり“素人探偵会”が35年ぶりに再会を期した途端、メンバーのひとりである老人が不審な死を遂げた。現場はトイレという密室―名探偵サッカレイ・フィンの推理を嘲笑うかのように、姿なき殺人鬼がメンバーたちを次々と襲う。あらゆるジャンルとタブーを超越したSF・ミステリ界随一の奇才が密室不可能犯罪に真っ向勝負!本格ファンをうならせる奇想天外なトリックとは。(公式あらすじ)

 端的に面白かった。解説で鮎川哲也も似たようなことを書いているが、まさかこんなにプロパーな本格ミステリを読めるとは思ってもいなかった。

 まずとても読みやすい。ざざっとテンポ良く書かれてある。方々に聞き込みにいったり、聞き込みが終わったら事件が起こったりと、派手なことをやっているわけではないのだが、すらすら読める。物語に無駄がないからこそのリーダビリティがある。脂の載った時期のクリスティのように洗練されたプロットといえば伝わるだろうか。

 またキャラクターのこれぞといったところ。<素人探偵七人会>なんて、まさにだ。決してキャラクター全員が立っているわけではないのだが、言動や行動の節々ににやりとしてしまう部分も多く、キャラに古臭さを感じることはあまりなかった。これまたクリスティを引いてきて申し訳ないが、彼女の小説に対し良く指摘されるキャラの平板さが、本作ではかえって読みやすさに寄与している。人間味がないわけではないのだが、一方で余計さもない。ミステリとして必要十分といってもいい。

 とはいえ『見えないグリーン』は本格ミステリなのだから、とにもかくにもミステリ部分が面白くないとどうしようもないだろう。しかしこれが良くできている。第一の事件における密室、第二の事件における転回、そして第三の事件における殺人模様。どれをとってもピカイチなのだ。

 まず第一の事件について。巻末に収録されている鮎川哲也による解説で、彼は以下のように述べてある。

なんとこれはわれわれが時代遅れだと否定した筈の機械的密室ではないか。しかもスラデックはロープだの針金だのという使い古された手段には見向きもしないで、奇想天外ともいうべき独創的な方法を発明しているのだ。(本書解説)

本作における密室は、奇想なのだ。鮎川哲也は、ここに至るまでに、いかにして密室トリックが心理的なものに移り変わったかという話をしていた。ロープがどうあって、ここで針金が引っ掛かって、ピタゴラスイッチになって……ということを言われても、よく分からんし面白みにかけるのではないか、それだったら心理的密室に分があるのではないか、ということを云ってるある。実際この論法はミステリファンにとっては聞き飽きたもので、とはいえ身につまされたものであろう。しかしその上で、鮎哲は云うのだ。本作でぶちかまされた機械的密室は素晴らしいと。

 たしかに本作のトリックはすごい。単純だからこそ魅力的な、そういうタイプの密室トリックが描かれている。そしてさらにすごいのは、密室が明かされるときの突飛さのなさだ。本作におけるこの奇想は、無理のある奇想として存在しているわけではない。ひとつのトリックとしてフェアプレイで解き明かされる気持ちよさの上に成り立っている奇想なのである。トリックの有り様も素晴らしい、ただそれだけでなく、どうしてそのトリックが使われていると分かったのかに迫っていく推理もまた素晴らしい。

 そして第二の事件。言われてみればそうとしか思えない、あるキャラクターにまつわる「なぜ」を手がかりに、全貌をすっと解きほぐしていく推理には脱帽せざるを得ない。法月綸太郎が『盤面の敵はどこへ行ったか』で指摘しているチェスタトンの影響を、特に感じさせる事件の運びもまた巧みだ。

 最後に第三の事件。これもまた、言葉遊びのような手掛かりから、するするっと解きほぐされていく。あの解決を読んだときに、わたしは都築道夫の云う「論理のアクロバット」を思い出した。都築道夫はこのアクロバットの説明に、あるいはパズラーの面白さの具体例として、『獄門島』におけるある言葉遊びを引き合いに出している。

こういう〔「本陣殺人事件」における三本指や、『獄門島』における言葉遊び〕登場人物の(つまりは読者の)錯覚を、作者がたくみに利用して、あとでアッといわせるところを、私は「論理のアクロバット」と呼んでいますが……。

『黄色い部屋はいかに改装されたか』(〔〕は筆者による注)

 第三の事件では、このアッという楽しみが味わえる。

 ちまちまとレジェンドたちによる様々な評価を引用してきたわけだが、つまりは『見えないグリーン』は本格ミステリの良くできたおせちだということを言いたかった。第一の事件では奇想天外な密室トリック、第二の事件ではチェスタトンのような転倒したロジック、そして最後の事件では都築道夫の云うアクロバットが楽しめるのだ。 

 そして全編にわたって、パズラー小説に対する批評のような会話が繰り広げられている。スラデックによるミステリ観は、今なお全くもって古びていない。それは本作が現役の本格ミステリとして楽しめることで証明されているであろう。

 さいごに、以下の記事を引用したい。

第52回:『見えないグリーン』(執筆者:畠山志津佳・加藤篁) - 翻訳ミステリー大賞シンジケート

 この記事の最後で、杉江松恋氏がコージーミステリのはしりとしての『見えないグリーン』について触れてある。

 自分はコージーの大元を恥ずかしながら知らなかったのだが、ここに書かれているとおり、コージーというものが「古典探偵小説へのオマージュとして、純粋な謎解きを楽しめる作品を読者に提供しよう」ということであったのならば、ここまで書いてきたとおり、本作以上の適作はないだろう。