載籍浩瀚

積んで詰む

青崎有吾『11文字の檻』

 青崎有吾による未収録短編集である。いわゆるミステリは三作のみ。ほかには百合短編がひとつ、二次創作がひとつ、そしてショートショートがみっつ収録されている。

 ファンならば必読の短編集。ファンでなくとも、どうにかして「加速してゆく」と「11文字の檻」は読んでいただきたい。

「加速してゆく」

一年後、自分はこの本のことを覚えていられるだろうか。

十年後、この脱線事故のことを覚えていられるだろうか。

『平成ストライク』で読んだときから、青崎短編のなかでも、はやく評価されるべき作品だと思っていた。今回この作品が短編集にまとまったというだけで、本短編集には価値がある。

 都心であればあるほど、いまやその存在無しでは生活を送ることすら考えられないまでになった電車。しかし平成17年に、その電車にまつわる未曾有の大事故が起きてしまった──本作のモチーフにもなっている「福知山線脱線事故」である。

 主人公のカメラマンは、電車を待っていた。もし事故が起きなければ、ホームに入ってくるはずであったその列車を。しかし事故は発生し、彼らは記者の宿命として脱線事故にまつわる調査へと乗り出す。その過程で、新聞社は悲惨な事故から運良く回避したひとのインタビューを集めることになる。それはたとえば主人公であり、もしくは現場でともに時間を過ごした、あのときホームに佇んでいた不思議な少年でもあった。

 平成とはどういう時代だったのか。福知山線脱線事故は、平成という時代が生み出した事故ではなかったか。それがまず第一の主題であろう。戦後からずるずると受け継いできた過剰労働に、責任を押しつけあう企業体質。バブルの破裂を取り戻そうと、一度抱いた幻想への回帰に躍起になって、平成という時代は加速していった。また平成はジャパニーズ・カルチャーが発展した時代でもあった。消費物としてのエンターテイメント。わたしたちは享受した物語をすぐさま放棄する。過剰に供給されはじめたエンタメへの需要の仕方は徐々に歪なかたちを成形しはじめた。それにはインターネットの興隆が強く影響しただろう。同時にそれは、いままで真っ暗だった部分にスポットライトを当てるきっかけにもなった。しかしわたしたちは欲深く、スポットライトを乱射した。そしてついに、情報流は、わたしたちの限界を超えたのだ。そしてそれは令和に入ったいまなお、加速し続けている。

 文庫本約50ページにして、青崎有吾は平成を俯瞰した。そして本作は、あのときなにがあったのかを追い求めるミステリという形式だったからこそ、書かれた作品でもある。その代名詞に「平成」とミステリにおけるキングの名を含んだ著者の、代表作といってもいい一作だ。

「噤ヶ森の硝子屋敷」

 無風がゆえに、まるで森が口を噤んでいるさまから名づけられた噤ヶ森。そこにはある建築家の手によって建てられた全面硝子張りの屋敷があった。そこを観光地化しようとする目論見の下見に、一行は屋敷へと赴いた。しかし到着して束の間。銃声のようなものが宿場のほうから聞こえてくる。急行すると、あつらえたように現場は密室状態で、中には死体が転がっていた。さらには現場検証をする暇もなく、屋敷が消失してしまう。

 トリック(と変なキャラたちを楽しむ)小説にしては、トリックのキレが鈍い。硝子屋敷に噤ヶ森と本格ミステリ世界を構築したのにも関わらず、無理があるんじゃない……? と解決編でツッコみたくなるところがしばしばあるのだ。それに硝子屋敷という、せっかくの面白ガジェットが十分に活かされていないのも物寂しい。もちろん普通の屋敷よりかはトリックへの説得力が増しているとは思うのだが……。反面、噤ヶ森の使いかたはかなり良かった。一見意味の分からない「当日の気温は?」という質問も、解決編を経ると膝を打つ問いであるということが分かる。

 とはいえ短編として全体を見ると水準作であるとは思う。この一編をもとに奇天烈建築物連作ミステリが執筆されるかもしれないらしいということなので、期待したい。

「前髪は空を向いている」

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 小説アンソロジー』から青崎先生が執筆した二次創作作品。ミステリではなく、さらにはその性質上青崎有吾作品としても例外的な作品である。

 感想はというと、良くも悪くもよくできた二次創作作品といったところに留まる。岡田茜を語り手として、本編の主人公である黒木智子に振り回される友人根元陽菜に心を乱される彼女の様子を描出している。おそらく青崎先生がネモと岡田さんのファンであるがゆえに生み出された作品なのであろう。ただ岡田さんはいわば本編の傍観者、二次的に主人公に巻き込まれてしまったキャラクターであり、そんな彼女を丁寧に描くことで『わたモテ』の世界を拡張している、あるいは一番「普通」な彼女を書いて『わたモテ』とわたしたちの現実とを地続きにする試みみたいなものを行っていたのかもしれない、と勝手に感じた。

 でもさ、作品への身勝手な愛をぶつけることで輝きを放つ二次創作と、ある程度読者を想定しなければならない商業は食い合わせが悪くない?

「your name」

「どんでん返し」をテーマに執筆されているわりには、かなりロジカルな作りがされている。雑誌『story box』では見開き一ページの分量で、事件の発生にキャラクターの登場、ひっくり返すのに必要な手がかりの配置からフィニッシングストロークまで決め切るのには脱帽のほかない。

 本作を読み返して、普遍的な状況から少しズレた若干の特殊状況においては、こういったどんでん返しが説得力を持って──突っ込まれにくく──結実しやすい可能性を覚えた。

「飽くまで」

 奇妙な味のショートショート。物を持っては、持ち続けることに飽きてしまい捨ててしまう、そういう性癖を持った男が、付き合って三年、結婚して一年寄り添った妻を殺害し捨てることを決意する。その先に待ち受けるブラックユーモアなオチを楽しむ作品。

「クレープまでは終わらせない」

 なにか得体のしれない怪物と戦ったりもするSFチックな社会を舞台に、<コームイン>の女子高生たちがクレープを食べに行く掌編。田中寛崇さん──<裏染天馬>シリーズや本作のイラストを描いている絵師さん──の絵をモチーフにした作品ということで、田中さんの絵っぽい世界観が描かれている。田中さんの絵はコミケなどでちまちまと同人誌を買っているくらいには好みで、一ファンの目線からいうと、この作品で表現されている世界観にはかなり共感できる。こういったデジタルっぽい、でも地続きな近未来ではない変な社会で、強かにカッコよく生きる女子高生みたいなのが、田中寛崇さんのイラストに感じているものだったからだ。

「恋澤姉妹」

 他人様に観測されたその瞬間に、わたしたちの無二の関係は俗に言語化されてしまう。だから虚に、それはまるで怪異のように、人目に触れることなく、恋澤姉妹は生きている。

 個人的にエモさは感じられなかったけれども、恋澤姉妹と主人公たちの比較が上手く効いていた。「関係性」が記号として処理されていく現代のエンタメにおいて、恋澤姉妹は華麗に屹立している。

「11文字の檻」

 政府への敵性思想を表現したことで、更生施設へ無期限の入所が決まった縋田。脱出するには「東土政府に恒久的な利益をもたらす十一文字の日本語」を特定し、解答欄に記入しなければならない。手がかりが限りなく少ないなかで、縋田は11文字の檻から抜け出すことができるのか。

 脱出ゲームというアトラクションが市民権を得て、あるいはパズル的な「謎解き」──これは本格ミステリにおけるパズラーという意味ではない──が市民権を得て、小説のなかに描かれるようになって以来、脱出ゲームミステリの最高傑作と言いきってもいい一作が現れた。

 この短編の面白さは、解答への手がかりのなさにある。ヒントもない中、11文字で構成される日本語の文字列を当てろという無謀さに縋田は挑むことになる。とはいえこれはゲームでなく囚役で、最初は施設に馴染んでいく主人公の姿が描かれる。まずそこで、すべての礎となる脱出への基本的なルールが提示される。余白は貴重であること。部屋内での殺人行為が行われる場合もあること。そしてやはり、解答を特定することは、砂丘から特定の砂粒ひとつを探りあてるほどに困難であることが知らしめられる。

 しかしひょんなことから、縋田は統括管理責任者──つまりはゲームマスター──から、これは単なる懲罰ではなく、ゲームとしての側面を持っていることを明言される。そこから縋田は、それならば解答欄や解答基準になんらかの絶対的なルールがあるのではないかと、目には見えない手がかりを探っていく。

 一般的なミステリであれば手がかりは探偵の目に見える状態で現場に散らばっているはずである。探偵はそれをもとに推理を構築し、真相を看破する。手がかりがどう組み合わさるかにアクロバットさがあると、そこに芸術点が加算される。一方で本作では、手がかりを探りあてるその時点でアクロバットが必要になる。ゼロからの論理的飛躍、あるいは実験的思索、つまりは推理を行うための推理が楽しめるわけだ。本書には収録されていないが、著者はギャンブル短編を数編発表している。そこで描かれたギャンブル的ひりつきが、本作では主人公縋田が解答への手がかりというジャックポットを当てる過程で描出されている。

 なぜ収監されたのか? や、ここはいったいどのような施設なのか? といった大味な謎は存在しない。11文字を特定し、ゲームマスターにぎゃふんと言わせる。たったそれだけであるが、それだけがゆえに切れ味の鋭い、唯一無二の名作に仕上がっている。