載籍浩瀚

積んで詰む

2023年下半期読書録

 いろいろとせわしない昨年だったが、なんやかんやここまでたどり着いた。今年は、よりせわしなく、全身全霊をかけるべきことが多くなる予感がひしひしとしているが、まあなんとかなると信じて。

 ということで2023年下半期に読んだ本のうち、長編10冊ならびに短編10本を紹介する。列挙される順番は決して優劣によるものではない。

 

長編

 

  • 下半期に読んだ一冊として、なんといっても外せないのは佐藤究による新作長編『幽玄F』だろう。ひとりの青年の半生を描いた青春小説として本作は目をみはる力を持っている。漠然とした夢を叶えるために一生を賭す。かれの夢は一種の呪いだ。自身でもなにがかれを満足させるのかが不明瞭で、それでも自身を納得させるために運命を手繰り寄せていく。
  • 『幽玄F』と同じく個人の半生に焦点を当てていて、しかしカメラの位置が違うのが宮内による『ラウリ・クースクを探して』だ。ミステリ的な面白さもありつつ、しかしその根幹にある技術、革命、そしてそれに翻弄された少年たちの物語がとにかく心を掴む。大きな歴史のうねりがいかにしてひとりの人生を狂わせたか、それをルポ形式で活写していく。
  • この二作を極限まで突き詰めていったのがオースターによる『ムーン・パレス』と言っていい。目的を失い、セントラルパークにて身をやつすあたりの描写には読んでいてひりつきが止まらない。なにも掴みようがない状況というのを、ここまで書くことができるのかと唸らされた。
  • 「小説を書くこと」を書き続けている乗代雄介が、会話を書くことにフォーカスしたのが新作『それは誠』である。修学旅行の最中のちょっとした冒険をかいた青春小説としても一級だが、しかしこの小説を読むときには、会話を書くとはなにかという点に想いを巡らしたい。小説では、書き分けの難しさから三人以上の会話が避けられる傾向にある。しかし鼎談という言葉が用意されているように、日常に三人以上の会話はありふれている。小説が日々の写し絵ならば、避けては通れない問題だ。本作はそこに挑んでいる。
  • 同じく小説を書くということに挑み、さらには小説を掌握しようとしたのが町屋良平による野間文芸新人賞作品『ほんのこども』である。町屋は小説を掌握するために、文章を徹底しようとした。しかし作品を見るに、かえって翻弄されているのではないかということが窺い知れる。その書き手と書かれるものの間に見える攻防戦にあるなにかを、わたしはまだ読み解けていない。ただなにかがあるということだけが読めたのだ。
  • ウィンズロウのデビュー作『ストリート・キッズ』は作者らしい一分の隙もない高品質な私立探偵小説だ。失踪人を探しもとめるという私立探偵小説のテンプレートをなぞる構造によって書かれてはいるが、挿話のキレと無駄のなさがずば抜けているからか、その様子はただの私立探偵小説にとどまらない。たとえば徐々に探偵として一人前になっていく主人公の様子は、少年が青年へと責任を持った存在に変貌していく成長小説としても読める。
  • 一方で、少女が強制的に責任を負わされていく青春小説がホリー・ジャクソンによるピップ三部作の最終章『卒業生には向かない真実』である。探偵行為に伴う責務と少女の成長を重ねて書いていた本三部作は、行きつくところまでたどり着いた。一瞬一瞬をかけがえのないものとして書くのが青春小説の肝だとすれば、本作は青春ミステリとして、ポイントオブノーリターンを書ききった傑作だ。
  • 青春小説の、その戻れなさを書いた秀作と言えば辻村深月による『島はぼくらと』もそうだ。「今」は「今」でしかないという単純な事実を、少年少女がどう受け止めるか。そして「今」の先へ進むことができるのか。「今」の美しさを残酷にも描きながら、それでも先に進む彼ら彼女らのたくましさに勇気づけられる。辻村小説のなかでも、推したい一冊がまた増えた。
  • 今年はミステリ業界がざわつくことが多かったが、その嚆矢となったのが〈百鬼夜行〉シリーズ新作刊行だったのは論を俟たないだろう。その『鵼の碑』もたしかにすごかった。しかしここでは新作刊行に合わせて読み、そしてレビューもした『塗仏の宴』を取り上げたい。詳細な読みは所属しているサークルでのレビュー*1を参照していただき、ここでは小説の構造とはここまで美しく組み立てられるものかと感服したというまでにとどめておく。

  • ミステリを読む・書くというので、いかに推理をしないかという問題意識を抱えた下半期だった。その解決策のひとつとして、倒叙ミステリというものを考えていた。すると倒叙コンゲーム性の由来や倒叙が取る構図について踏み込みたくなった。その倒叙の構図という点で、もっともチャレンジングなことをやっている作品が石持浅海『君の望む死に方』だろう。こちらも詳しくはレビュー*2を参照していただきたい。本作では探偵というものを一段上の存在にすることで、推理という作業を抹消できる可能性を感じさせてくれた。

  • 下半期、ほかには『ハンチバック』、『ぼくは勉強ができない』、『恋の幽霊』、『造花の蜜』などを楽しんだ。また『夏と冬の奏鳴曲』読書会主宰を通して、一段とミステリへの見通しが立ったようにも感じている。エラリー・クイーンという圧倒的な存在をどう超克するか、ミステリ作家は挑み続けなければならない。

短編

  • 「君が手にするはずだった黄金について」小川哲
  • 「アスモデウスの視線」初野晴
  • 「だるまさんがかぞえた」青崎有吾
  • 「命の恩」米澤穂信
  • 「或るスペイン岬の謎」柄刀一
  • 「春の章」古野まほろ
  • 「いつになったら入稿完了?」阿津川辰海
  • 「三人書房」柳川一
  • 「パノラマ・マシン」呉勝浩
  • 「最後の一冊」大倉崇裕

 

  • 下半期で圧倒的に面白かった短編集は、またしても小川哲の『君が手にするはずだった黄金について』だった。そのなかでも特に好きなのが表題作の「君が手にするはずだった黄金について」である。小川の短編力は、はっきりいって異常だ。読者に寄り添う力が強いからこそ、序盤から読み手を作品に引き込むことができる。それが小川作品の、特に短編の強みなっている。時流、そのなかでも「他人の見方」を捉える能力が高いのだろう。本作は、そして本短編集は、その能力をいかんなく発揮した凄みのある作品集である。
  • 下半期に入り、ぽつぽつと〈ハルチカ〉シリーズの読み返しを始めた。それは青春ミステリと向き合うためであるが、あらためて初野晴の技巧の高さに驚き続けている。学生がその箱庭から一歩先へと行く手段としてミステリを組み込んでいる本シリーズでは、たびたび怪作が生み出される。「アウモデウスの視線」もそのひとつだ。魅力的な日常の謎を解くと、必然的に学生の外の世界を見せつけられてしまう。箱庭の外にも、世界は広がっている。そこはだれかが守ってくれるような場所ではなく、たびたび割り切ることのできない決断を迫られる世界なのだ。
  • 下半期ベスト短編集を挙げるとすれば、真っ先に心当たりとして挙がるのが青崎による『地雷グリコ』だ。そのエンタメ性の高さは、今年一年どころかここ数年を振り返っても群を抜いている。ただただ面白い頭脳バトルで、そのコンゲームはもはや異能バトルの域にまで達している。そのなかでも気に入った一作が「だるまさんがかぞえた」だ。達成すべき条件のハードルの高さ、それを踏まえた一歩目の衝撃、そしてそれらを鮮やかにこえていくラストと、パズルのようにきれいにはまっていく伏線たちには脱帽だ。
  • 今年も年末ランキングを席捲してしまった米澤の『可燃物』からは「命の恩」を推したい。どの作品もよくできていて甲乙つけがたいが、「命の恩」はある程度古典的な真相の、その隠しかたが巧みであるうえ、問いの視点を変えることで真相への説得力を高めるというミステリ小説の書きかたの点でも見事だった。
  • 新作本格ミステリ短編からは柄刀の「或るスペイン岬の謎」を。柄刀国名シリーズの掉尾を飾る短編集『或るスペイン岬の謎』の表題作は、これまで以上にロジックを詰め込んだ一作だった。本シリーズでは唯一の長編『或るギリシャ棺の謎』がやはり一つ抜けて好きだが、そのほかの短編だと本作だろう。
  • 新作枠、そしてロジックといえば、まほろじっくが九マイル形式で炸裂した『ロジカ・ドラマチカ』を忘れてはならない。ちょっとした一言から推理を引っ張りだしていく、執拗な余詰めを含めた、隙を見せない論理は相変わらず圧巻だ。そのなかでも一作目「春の章」は、九マイル形式特有の飛躍と、まほろらしいネチネチとした緻密な論理が組み合わされた良作だ。
  • 新作ミステリ短編枠だと、阿津川の『午後のチャイムが鳴るまでは』から「いつになったら入稿完了?」ならびに柳川『三人書房』から表題作の「三人書房」も良かった。前者は文芸部を舞台にした青春ミステリかつ、タイトルからもあらわれているはやみねへのリスペクトがもっとも見えた一作。後者は江戸川乱歩を探偵役にすることが、短編として重要な手がかりになるという手さばきを見せた秀作だ。
  • ミステリから少し離れ、奇想のアイデアを上手く形にしたのが呉勝浩による「パノラマ・マシン」だ。実験小説の面白さを秘めつつ、暗い笑いが出るオチに着地させる。
  • 長編では『君の望む死に方』だったが、短編の倒叙では〈福家警部補〉シリーズから「最後の一冊」に惹かれた。推理を描かない手法として倒叙を思案したというのは先述の通りだが、本シリーズを読むと倒叙として描く推理の面白さに気づかされるから困ったものだ。

 

 年を明けて2024年は、もっと幅広く、そして深く「本を読む」ことができればよい。昨年は特に、自身の読めてなさに気づかされた一年だった。物理的な制限もあるため、今年の、特に上半期は再読が増えるような気もするが、これを機に読み溢しをひとつずつ拾っていければと考えている。

 

 



 

『ダ・ヴィンチ・コード』を読む

 パリ旅行のついでに『ダ・ヴィンチ・コード』を再読した。ダン・ブラウンによるラングドンシリーズの二作目、おそらく同世代以前でその名を知らぬもののいない世界的大ベストセラーだ。

 しかし読んだ感想は非常に淡白だった。アクションと暗号解読によるサスペンスは流石のものだが、謎解きミステリとして読むとやや物足りないといわざるを得ない。それはこうとも言えるだろう。あまりにも陰謀論ーーあるいは単刀直入に暴論ーーすぎると。

 内容を述べる前に、本作を謎解きの本格小説として読むのはいささか不公平であるということを言い添えておきたい。本作の楽しみは先述したサスペンスのほかに、開陳される蘊蓄や世界と歴史をまたにかける陰謀劇の看破にある。世界政治の裏側でなにが行われていたのか、日ごろ見えないベールの内側を覗いているような感覚は快感としか言いようがない。物語であるということは分かっていても、「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と断言されてしまえば、こころのどこかで本当に現実にもあるのかもしれないと考えてしまうのが人情だろう。(しかしこの記述が勘違いにつながるとして論争が起こったということには注意したい)*1

 さらには一種の旅行小説として読める向きも多分にある。パリだけでもルーブルにサン・シュルピス教会やエッフェル塔、ロンドンも含めればさらにいくつかの観光地が描かれるからだ。ルーブルの秘密ーー防犯カメラは全部偽物だとかーーや、サン・シュルピス教会のローズラインについてなど、おそらく嘘っぱちなのだけれど、さも事実であるような筆写に童心が疼く(後者は公式に否定されている)。

 つまり、いまさらいうまでもなく面白い小説であることには違いない。しかしながら読んでいてのめり込めなかったのも事実であり、それは先にいったとおり謎解きに不足があるように感じたからだ。

 ではどのような不足かというと、ひとことでいえば説得力である。本作には大きくふたつの謎解きがある。ひとつは「聖杯」の正体などキリスト教の隠された秘密、さらにはヒロインであるソフィーの生い立ちの真実を暴くもの。もうひとつはもちろん、ラングドンたちによる暗号解読である。後者において本作はまるで世界を舞台にした脱出ゲームのように構成されている。出された暗号を解読すると、次の暗号が提示される。これを繰り返して「聖杯」の位置を暴くというものだ。作中でこれら両者は入り組みながら明かされていく。「聖杯」の正体こそが暗号解読の手掛かりとなる。一方でこのふたつは謎解きのレイヤーが異なっていることには留意しなければならない。「聖杯」の正体をめぐる謎解きにおいて、そもそもそれを謎として受容するのは読者とソフィーのみであり、ラングドンはすでに真実を知っている立場にある。あるいは本書を書く際に作者が書籍を参照したということを考えると、該当部の考察は、たとえばミステリ小説の謎のように作者がでっちあげたものではなく、ある程度骨子がしっかりとしたものであると考えて良いはずだ(もちろんそれがとんでも本である可能性はあるが)。実際読んでいてスリリングなのはこの「聖杯」の正体に迫る蘊蓄部分だったというひとも多いのではないだろうか。しかしながら困ったことに、これが暗号解読と入り組んで構成されているからこそ、物語が進めば進むほどこの雑学への信頼性が損なわれていくような感を覚える。それはがっぷり四つに組んだ暗号解読の側に牽強付会を見てとってしまったからだった。

 ラングドンらによる暗号解読の手続きは基本的に次の筋に沿っておこなわれている。まず提示された暗号から象徴的な語句を取り出す。次に語句が象徴しているものへとラングドンの本分である象徴学を用いて抽象化していき、そこからひらめきによって暗号が解かれ、暗号と暗号が指す場所の関連について説明がなされる。ここでくせものなのが、ひらめきと説明にある。ラングドンは説明においてなぜこの暗号を解くと、暗号が指す場所が浮上するのかを語る。しかしながらこの説明が、暗号を段階的に解くという演繹的な解法の説明ではなく、やや答えありきの帰納的な解説になってしまっているのだ。つまり象徴学的に演繹された概念から暗号の解まで、本来ないはずの論理の道を蜃気楼のように浮かび上がらせている。ここには論証はない。あるのは根拠の薄いアイデアだけなはずだ。起点と終点に妄想的な連関を見出してしまっている。しかもこのアイデアは、解答の正解という展開を持って現実になる。ロジックに欠ける説明が物語内の現実へと侵食していくのだ。それは逆説的に物語内の現実、特に絡まった聖杯伝説の説明の基盤を揺るがしていく。

 はてさて。ここで問わなければならないのは、この問題が『ダ・ヴィンチ・コード』のみが内包する個別的なものであるのかということだろう。もちろん否である。これはミステリ小説の、特に推理の担保を気にする本格ミステリ小説が内在的に持つ問いだ。そしてこの問いが問われることこそが、ミステリの面白さなのだろう。ミステリ小説の面白さは陰謀論と現実の狭間にある。本作はそれを前面に押し出して教えてくれる。

締めのまえに

 陰謀論とミステリのはなしに突っ込みかけてしまったが、ここらのはなしはミステリマガジンにて連載されてある荒岸来穂「陰謀論的探偵小説論」に詳しい。海外にいるという都合上参照できなかったが、おそらく『ダ・ヴィンチ・コード』(あるいはラングドンシリーズ)について触れていたはずである。わたしは陰謀論について体系だった知識を持っていない。つまりその点については素人の戯言だとして斟酌して読んでほしい。

おまけ:聖地写真集

ルーブル美術館にて。モナリザは大人気だった。
サン・シュルピス教会とローズ・ライン(子午線)

 

エッフェル塔




*1:実際現場はかなり迷惑を被ったとのことだ。影響力のある小説もそれはそれで大変なわけだ。

『龍と苺』第一部感想

 天才は無自覚に人を傷つけるという。天賦のきらめきを見せつけられたとき、自分にはそれがないと否が応でも自覚してしまうからだ。しかし本当にそうだろうか? 傷つくのは、才能の差に絶望するからではなく、きらめきの底が見えるからではないか? あと少しだけ運があれば、その才能を引き寄せることができていれば、そこに辿り着けたかもしれない。そう思うからこそ、凡人は天才に傷つけられてしまうように錯覚する。そう、それは錯覚だ。そんな天才は大したことがない。本物の、神に選ばれたなかでも寵愛を受ける者。かれらのきらめきには底がない。なにかボタンのかけ違えがあれば、わたしもあなたになれたかもしれない。そんな僅かな希望も抹殺される。あいつは人ではないと、目を逸らすしかない。そんなあいつこそが本物の天才だ。凡人が、そしてそこらの天才が本物の天才に出会ったとき、そこに抱くのは絶望でも傷心でもなく、問答無用の畏怖だ。

 物語は14歳の藍田苺が、命を懸けられるものとして将棋に出会うところから始まる。幸か不幸か彼女は将棋の神に見初められていた。努力や経験といった綺麗事を無に帰してしまうような、圧倒的な天賦の才が彼女に宿っていたのだ。そして彼女は運命に導かれるようにアマチュア竜王戦へと参戦する。

 苺が足を踏み入れた棋界は男性中心に回っている。そこには暗黙の了解としての男女差別がある。その差別はいままで女性棋士が存在しなかったという、長い歴史のうえに築かれているものだ。どれだけの女性が棋士を目指したのか、それなのになぜひとりも三段リーグを突破できなかったのか。将棋の神へと幾度となく問われた問いに、男たちは体力と知力に、どうしようもなく差があるからだと答えてきた。あまりにも差別的だ。非科学的だ。しかし、歴史がそれを裏づけている。男たちは差別ではなく事実なのだと主張する。苺の才は、その歴史をひっくり返すところから始まる。スポンジのようにという比喩さえ陳腐に思えるほどの吸収力で、苺は将棋の腕を磨いていく。序盤の見どころは戦いのなかで次々と成長していく苺の姿だろう。彼女は敵の、そして仲間の経験を意に介さない。売られたケンカを買う。ただそれだけの動機で、鋭い勝負勘を持って次々と相手を叩きのめしていく。しかし彼女は出会ってしまうのだ。粗削りの才能では届かない相手に。きらめきでは苺に劣るかもしれないが、そのカッティングは本物の、プロ棋士という存在に。こうして藍田苺は本格的に棋士へと、棋界へと挑戦状を叩きつける。目指すはアマチュアのまま竜王戦を勝ち抜くこと。前代未聞どころか、想像すらできない偉業を目標に彼女は才能を磨き上げていく。

『龍と苺』はひと握りの天才たちと、そしてさらにひと握りの本物の天才の話だ。圧倒的な力を見せつけてこそ才覚だという前提があるため、手に汗握る物語のなかに本物の天才を描くというのは容易なことではない。しかし本作はそれを、苺が未経験者からのスタートであるということと向き合い続けていること、格闘漫画の形式を用いることの二点をもって達成している。特に前者には多くのアイデアが詰め込まれている。

 言うまでもないが将棋という盤上遊戯において、格下が格上に勝つことはない。未経験者がプロ棋士に勝つことは、天地がひっくり返ってもあり得ない。将棋には歴史があり、多くの棋士が血反吐を垂らしながら最適手を研究してきたのだ。個人の経験を凌駕することはあれど、才能は歴史を凌駕しない。だから天才というだけで苺が棋士を倒していくとなると、まるっきりの嘘になってしまう。この嘘を上手く吐くために、作者は惜しみなくアイデアを投下した。「負けに不思議の負けなし」を徹底し、「天才ゆえに勝った」で済ますことはない。どのようなアイデアが練り込まれているのかは、ぜひ自身の目で確かめてほしい。物語が進むにつれて、徐々に作者が嘘を吐けなくなっていく様子を含め、ひりひりとした緊張感が楽しめるはずだ。

 最後に格闘漫画の形式を用いているというところにさらっとだけ触れておこう。ありとあらゆるバトルものにおいて、理想的な状態とは、どちらが勝つのか先行きが見えないことを指す。主人公だから勝つというのがメタ的に察せられる状態は読んでいて緊張感に欠けるわけだ。その主人公補正を軽減するために、格闘漫画などでは敵キャラのエピソードを挿入する。どちらが勝っても物語が成立するように、つまり読者のメタ読みを防ぐために敵の格を主人公と同じところまで引きあげるわけだ。『龍と苺』はこれが上手い。苺がポッと出の天才だからこそ、プロにも意地がある。なんとならば、苺が出てくる前は、かれらこそが歴史を塗り替える天才だったのだ。意地と経験を前に負けるわけにはいかない。相手だって苺と同じくらい、あるいはそれ以上に勝たなければならない理由がある。だからこそ、勝敗が決すまで、どちらが勝つかまったくもって分からない。

 そうは言っても藍田苺は勝ち続けるのだろうと思われるだろう。だからこれだけは言っておこう。藍田苺はいずれ敗北を知る。そこからどう立ち上がるのか、そして物語がどう進むのか、竜王戦の勝者はだれなのか、ぜひ一読してほしい。そして最新話で全てがひっくり返されるところまで読んだら、『龍と苺』について語り合おうではないか。

 

 

 

 

青春映画として読み違う『PERFECT DAYS』

「こんどはこんど、いまはいま」

 2023年の劇場納めとして、ヴィム・ヴェンダース監督による一作『PERFECT DAYS』を見た。渋谷周辺のアートトイレを担当するトイレ清掃員平山の、繰り返しているようで徐々に変化する、つまりは平凡な日常の話だ。贅のない、最低限の暮らし。それでもかれの日々は笑みから始まっていく。

 平山へのファーストインプレッションは、はっきりいって「こうはなれない」という恐れ/畏れだった。その修行僧のような暮らしに、快楽があるように思えなかったのだ。ルーティーンに規律されること自体が悦びなのかもしれないが、それならばいわゆる会社勤めでも良い。わざわざ夕方前に仕事から解放される自由を手にしておいてなお、あえて縛りの大きい生活を送る平山に共感ができなかった。そのために序盤はただただ奇人の暮らしをウォッチしているだけだった。

 しかし物語が進んでいくと様子が変わってくる。平山以外の登場人物が画角に入り込んでくることで、かれのルーティーンが脅かされる。その変化が本作のエンタメ性に結びつくのだが、わたしはそこに青春映画の面白さを嗅ぎ取った。

 本映画を鑑賞したひとは、おそらくここで訝しむだろう。なぜならば、本編に登場するのは、そのほとんどが「青春」の日々を終えた人々だからだ。唯一例外として姪のニコが登場するが、カメラの中心は常に壮年期を過ぎた平山である。しかし、わたしはたしかに、この映画に青春の瞬間を感じた。この映画には青春映画の面白さがある。

 本作に感じた青春の一瞬は「呪い」と「箱庭」に端を発している。これら「呪い」や「箱庭」は青春小説や青春映画において、「青春」という情感を物語に帯びさせるために用意される物語的ガジェットのことを指す、わたしの勝手な造語だ。呪いとその解呪、また箱庭への揺さぶり、このふたつの構図は、良く青春モノにおいて使われる手法である、と考える。ここでこれらの具体的説明に踏み込むと、それだけで長くなってしまうのでここでは割愛する。本記事で言いたいのは、本映画ではこれらガジェットが効果的に用いられており、ゆえに青春映画の面白さが露呈してきているということだ。

 箱庭への揺さぶりは、ルーティーンが崩れかけるところそれ自体に顕れている。同じような日々を繰り返す平山の世界は狭い。まるで高校生の世界が学校と部活と塾と家で完結しているように、平山の世界は清掃先と銭湯に飲み屋、そして家だけで閉じてしまっている。しかしそこにニコやタカシという刺客が箱庭の外部からやってくる。そうして同じような日々に摂動が加わっていく。特にニコが現れたときには、絶大なショックを平山に与えたのだろう。その証拠に常に無口な平山がニコの前では饒舌になる。その揺さぶりの効果として現れたのが、ニコと過ごした日のルーティーンの狂いだ。

 しかしそこまでの揺さぶりを与えたのにも関わらず、平山の世界は崩れなかった。それは平山が高校生らと同じく、刹那的に生きているからだ。ニコに述べたとおり、平山にとっていまはいまでしかない。いまが連続した先に未来があるとか、そういう積算したスパンの概念を持っていないのだ。ゆえに一度箱庭に入ってしまったら、箱庭にいることが常態化する。外部からの揺さぶりがあるのにも関わらず、自由がありそうでない小さな世界に閉じ込められ続けている。この箱庭からの非脱却の様子に、まずひとつ青春モノのニュアンスを感じてしまう。

 もうひとつ、本作が「青春」を帯びる瞬間として、たびたび挿入される呪縛と解呪のエピソードがある。印象的なのはやはり、妹との再会のシーンだろう。あのとき平山は、そして妹は、なにかの呪縛から間違いなく解放されていた。本作のにくいところは、それがいったいどのような呪いだったのかを描かないところにある。しかしなにか憑物が落ちたということは、鮮やかに描出してくる。ほかにもアヤの一連のエピソード、友山からママを託されるシーンなど、平山はときにだれかの呪いを解き、ときに自身の呪縛から解放され、そしてときには新しい呪いをかけられる。その繰り返しに、やはり青春映画の面白さを感じてしまう。

 これら妄念は、監督であるヴェンダースロードムービーの大家であることと無関係ではないだろう。ロードムービー/ノベルと青春映画/小説は、用いられるガジェットの多くが共通している。たとえばここでも紹介した「箱庭」に対するアプローチはその顕著な例だ。ヴェンダースは本作を旅をしないロードムービーとして撮影したのかもしれない。しかしわたしは、それを青春映画の面白さとして読み違えたというわけだ。

 


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2023年に見た面白い映画

 2023年に見た映画のうち面白かったものおよそ10作ほど挙げる。今年こそは100本見るぞなんて意気込んでいたけれども、ふたを開けてみれば遠く及ばなかった。まあでも気ままに見れたので良しとする。

 なんとなく面白かった順に。

 

名探偵コナン 黒鉄の魚影


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グリッドマン・ユニバース


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怪物


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窓際のトットちゃん


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キリエのうた


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THE FIRST SLAM DUNK


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PERFECT DAYS


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スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース


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リバー、流れないでよ


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ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生


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そのほか

 まずなんといってもガルパン第四章』の映像はすごかった。雪上戦の迫力だけ見ると、今年一の映像だったといっていい。他のアニメ映画だと『アリスとテレスのまぼろし工場』『ユーフォ アンサンブルコンテスト』も深く楽しめた。今年はアニメ映画を見てずっと感嘆していた気がする。邦画については、ゴジラ -1.0』『首』が良かった。近年で一番邦画を楽しんだ気がする。一方で洋画は全然当たりがなかった(というか全然見に行けなかった、見に行ったのが何とも言い難いものばかりだった)。唯一これは良かったと余韻を覚えたのは『aftersun』だろう。終盤で流れるUnder Pressureは見終えたあとヘビロテした。

 振り返ると、アニメオタク全開のリストになってしまった。仕方がない。アニメが好きだし。

 

旧作編

涼宮ハルヒの消失を劇場で見た。こんなにフィクションを愛する作品だったのかと、心が過去に引き戻された。谷川流にやられました。ほかには『劇場版パトレイバー1&2』。設定は一緒で、二つともよく練られた作品なのに、なぜか方向性が全く違う。1の方はミステリ映画における捜査の楽しみが詰まっている。2の方は日本におけるクーデタをシミュレートした名作SF映画だ。

 そのほか劇場で見ることができて良かったのはパルプ・フィクション薔薇の名前だろう。『パルプ・フィクション』はまじまじと見るとそのギャグ映画っぷりに笑みがこぼれるし、『薔薇の名前』はあの複雑な原作をシンプルに、それでいて原作の楽しみを損なわず映像化している。来年もぼちぼち名画座には通いたい。

 

偏愛・殿堂入り・大傑作

アイドルマスター ミリオンライブ! 第一幕・第二幕・第三幕


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 ミリオンライブの一年だった。ありがとう。実はすごい心配で、上手くいくとは思っていなかった。3Dだし、39人だし、そもそもミリオンライブ!には明確な物語がない。それでも恐る恐る見に行った第一幕の、ToP!!!!!!!!!!!!!を見て、不安が一気に払拭された。ASの影を見て、傑作を確信したPは多いだろう。ありがとう。本当にありがとう。

 

 まだ見ていないかたは、ここから見られるのでぜひ見てください。後悔させません。

 

 

ミステリベスト2023

 新刊マラソンの個人的な整理をする。対象となる本のレギュレーションは以下の通りだ。

  • 2022年10月以降、2023年9月までに発売された本であること。
  • 筆者がミステリだと感じた作品。

 昨年同様国内総合、国内本格ミステリ、海外の三つのジャンルでランキングをつける。

 

国内総合

  1. 小川哲『君のクイズ』
  2. 米澤穂信『栞と嘘の季節』
  3. 宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』
  4. 早瀬耕『十二月の辞書』
  5. 井上真偽『アリアドネの声』
  6. 永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』

 

  • 例年よりも読めた冊数は少ない。しかし、その割には満足のいく一年だった。
  • 刊行当時、いや雑誌掲載当時から、『君のクイズ』はひとつの理想系だった。これを超えるミステリは今年一年内には現れないだろうと思っていた。現れなかった。
  • 米澤が新作長編を書いた! それだけで胸の内で喜びの舞を踊っていたが、本作は米澤青春ミステリとしても、『いまさら翼といわれても』を経て、ひとつ次へいったことを実感させてくれる傑作だ。
  • 『ラウリ・クースクを探して』では、どう記述したか、なぜ記述したのか、そしてだれが記述したのかの三点が密接に絡みあっている。それがミステリとして炸裂するのが、やりすぎではないかと思わなくもないが、しかし面白く、それでいて納得させられたのだから仕方がない。
  • 早瀬耕も、久しぶりの、本当に久しぶりの長編だった。『未必』に並ぶ傑作とまではいわない。しかしテクノロジーを物語に絡まされるという点で唯一無二の才を発揮してくる早瀬の秀作である。
  • アリアドネの声』は読んでいてただただ没頭できた一作。一気読みの快楽を覚えることができる。なにも考えず、おもしれ〜って思えた。
  • 木挽町』では初めて永井に触れることができた。どうやら永井紗耶子はすごいらしいということは聞いていたのだが、手に取るまでに時間がかかった。自分は第四章あたりから一気に引き込まれ、そして読み終わったあとには、騙しの仕掛けに白旗を挙げていた。騙すことそのものも、物語になりうるのだ。
  • 他にも『11文字の檻』や『鈍色幻視行』、『踏切の幽霊』に『本売る日々』などが良かった。

 

 

国内本格

  1. 白井智之『エレファントヘッド』
  2. 米澤穂信『可燃物』
  3. 中村あき『好きです、死んでください』
  4. 東野圭吾『あなたが誰かを殺した』
  5. 柄刀一『或るスペイン岬の謎』
  6. 麻耶雄嵩『化石少女と七つの冒険』

 

  • 2022年から2年、白井智之イヤーが続いている。もともと凄腕の作家だとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。白井智之は多くのミステリファンを釘付けにしただろう。
  • 推理を納得させるためにはどうすれば良いか? 警察小説の形を使って、純粋ミステリ空間を生み出した本作では、論理のアクロバットを問い側で行うという試みがなされていた。米澤の飽くなきミステリへの挑戦が窺い知れる一冊だ。
  • 面白えじゃん中村あき......。まさか恋愛リアリティと本格ミステリの座組がここまでマッチするとは。どちらも嘘っぽい世界観なのが良いのだろうが、世界観のみならず、繰り広げられる殺人劇ならびに推理も地に足ついていて、とても楽しめた。
  • このタイトルがお出しされたときに、みんな東野流本格を期待したと思うのだけれど、ちゃんとそれに応えてきた。東野圭吾はすごいと再確認させられる。初期作ばかりが本格ファンにフィーチャーされるが、その腕は未だ健在だ。
  • 柄刀国名シリーズ最終作。最後までロジックに淫した作品集で、とにかく濃く、それでいて真摯に本歌取りをやっている。それでいて作者らしい密室トリックも随所に練り込まれており、読んで損はしない良シリーズとして幕を閉じた。クライマックスとして探偵役の南が、心震わせてくれるような推理をしてくれるところも見所だ。
  • 最後は迷った。著者への期待を鑑みると『化石少女と七つの冒険』は、決してただ嬉しいだけのものではなかった。とはいえ、まあミステリのクラシカルな面白さがある本作を楽しめなかったかといえば嘘になる。
  • 『化石少女と』と迷ったのが『しおかぜ市』、その次に『午後のチャイムが鳴るまでは』だろう。偏愛だと、古野まほろの望外の新作『ロジカ・ドラマチカ』も、まほろじっく炸裂で嬉しかった。

 

 

海外

  1. ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』
  2. 孫沁文『厳冬之棺』
  3. アンソニーホロヴィッツ『ナイフをひねれば』
  4. マーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』
  5. ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』
  6. ロバート・アーサー『ガラスの橋』

 

  • 海外に関しては本当に読めずじまいな一年だった。旧作ばっか読んでしまい、面白そうな新作を次々と読み逃していった。反省のほうが多い。
  • 『卒業生には向かない真実』として、青春ミステリ三部作の三部目。こんな幕切れの仕方もあるのかと、声が震えた。どこに連れて行かれるのか全く先が見えない。まだ先の長いピップの人生だ。幸せになってくれと、読んでいて深く願ってしまった。
  • 『厳冬之棺』は、もうニヤニヤが止まらないような奇想物理トリックが大炸裂する一作だった。密室ミステリに求めているモノが詰まっている。年三くらいでこういうのが読みたい。
  • ホロヴィッツは毎年面白い。今年も面白い。自分はホーソーンのシリーズの方が好きなので、その分の加点もあるとは思うが、このシリーズでは毎度毎度事件の巻き込まれ方がよく練られているのだ。だからこそ序盤から一気に引き込まれる。今回はホロヴィッツが最重要容疑者になる。そこからホーソーンという謎の探偵の秘められた部分にまで踏み込んでいくのだから流石だ。
  • 『処刑台広場の女』は本格だと思っていたらサスペンスよりだった枠なのだが、しかし古典ミステリの名評者による作品というだけあって、随所から古典の手つきが垣間見える。
  • ノックスの新作『トゥルー・クライム・ストーリー』は、昨年の『ポピー』に続く、証言やメールなどの記録のみで構成された一作。このパターンでやれることを全部やってるのではというくらい詰め込まれた一冊だが、その分長い。長さがネックで、簡単には薦められないが、とはいえ読ませるように作られている。来年もノックスの新作が読みたい!
  • これまた古典の面白さというか、ミステリってこういうところが面白いよねというエッセンスが詰まった短編集が『ガラスの橋』であった。ミステリを好きなことが伝わってくる、安心感のある一冊だ。

 

 

 来年もミステリをいっぱい読むぞ!!! 良いお年を!

 

折原一『七つの棺 密室殺人が多すぎる』

 叙述トリックの名手折原一が密室に挑んだ、密室愛好家による密室愛好家のための贅沢な短編集。パロディやオマージュも豊かで、密室好きのみならず古典本格ミステリ好きならばにたりとするネタ満載の一作だ。

 トリックが偶然に頼りすぎているものも多く、また納得の程度として苦笑せざるを得ないものもあるが、密室のバラエティは豊かであり「脇本陣殺人事件」など密室短編としてよくできたものも収録されている。これ一冊で類別トリック集成に大別されているトリックを大部分概観できてしまうのはお手軽でお得だろう。密室が好きというかたは読んで損はない。密室講義を広く集めた創元推理文庫版の解説も必読。