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『天城一の密室犯罪学教程』索引

 『天城一の密室犯罪学教程』を読み返した。その備忘録として教程ならびに密室作法〔改訂〕で紹介されている作品を以下にリストアップする。この際、邦題は最新のものに揃え、またリストはトリック別によるネタバレを回避するために登場順ではなく五十音順に並び替えた。

 

密室犯罪学教程 理論編

国内作品

海外作品

 

密室作法〔改訂〕

国内作品

密室評論

 

 

 



 

 

*1:本文中では「海浜の悲劇」と紹介されていたが、ルブランにそのような邦訳は存在しなかった。そこで調べてみたところ、紹介されていたトリックと近しく、また「海水浴場の殺人」という邦題をもつ本作のことを指していたのだろうと推測した。

社会の死角/沢木耕太郎『人の砂漠』

おそらく、人は誰しも無垢の楽園から追放され、「人の砂漠」を漂流しなくてはいけないのだ。——沢木耕太郎

 個々人が属している社会には、それぞれに特有の死角が存在する。たとえばわたしの社会では、ロシア領の近くで漁を営む人々の社会は死角になっていた。一方でロシア領の近くで漁を営む彼らにとっては、東京という大都会で、ミイラになった兄の死体とともに暮らしていたおばあさんの生活は死角になっているだろう。当然、今わたしが営んでいる生活が死角に入っている社会も世の中にはあるだろうし、そしてその社会のことをわたしは知らない。

 さて死角とは、視野に入らないから死角なのである。その存在にスポットライトを当てることができた時点で、そこはもう死角ではない。ではわたしたちは、いかにして死角を照らすのか。その問いに答えるのが沢木耕太郎によるノンフィクション短編集『人の砂漠』である。沢木はあとがきで、わたしたちの社会を渺渺とした砂漠にたとえた。その砂漠で、沢木は砂丘の裏側にたたずむ人々を訪ねていく。影なのか、はたまた蜃気楼か、なんらかの現象によって偶然沢木の目に入った手掛かりをもとに、彼は砂漠を旅していく。それが『人の砂漠』である。

 本書には八つの短編が収録されている。一体のミイラと奇妙なノートを遺して亡くなったおばあさんの話。元売春婦など、大多数の人々の死角においやられた女性により形成されたコミュニティの話。本島よりも台湾のほうが近い与那国島に住む人々の話。北方領土返還に口を濁す、ロシア領の近くで漁を営む人々の話。鉄屑やリサイクル紙などを取り仕切る「仕切場」で働く人々の話。相場師の夢と彼らに残った山河の話。天皇に対して怒りを直截ぶつけた犯罪者たちの話。そして、八十になって町全体を詐欺に遭わせた老婆の話。

 沢木はこれらの話の入り口で、「なぜ」を問う。なぜおばあさんはミイラとともに暮らしたのか。なぜ北方領土返還に口を濁すのか。なぜ詐欺に走ったのか。わたしたち読者もなぜと問いかける。ではなぜ、「なぜを問う」のか。それはそれがわたしたちの死角にあるからに他ならない。

 一度問いを立てたら、沢木は真摯にその問いと向き合った。沢木は、彼の死角に対して、そこが死角であることを強く認識してから目を向けた。そこが死角であったことを逆手に取り、外界に位置するものとして丹念な事前調査とつぶさな聞き込みを重ね、死角に像を結んでいく。立体的に、中立的に、それが実像になるように沢木は調査を進める。彼は像を結ぶことが、人の砂漠ですれ違うことだと気づく。すれ違ったしるしに沢木は文章というケルンを積み上げた。

 死角の存在に気がついたとき、わたしにはしばしば考え込む癖がある。そしてそれはわたしが推理小説というジャンルが好きであることと、どうやら不可分ではないらしい。なぜなら推理小説とは、死角にライトを当てる小説としての側面を持っているからである。

 この本を読んで、わたしは八つの死角を発見した。しかし依然として、わたしの社会では霞んでいるままだ。この霞を払う方法を、わたしはまだ杳として知らない。

 

 

 

2022年上半期読書記録

 道中では忙しく感じたものの、振り返って見れば緩やかだったような気もする上半期。その期間中に読了した本の中で、新しく読んで感銘を受けたもの、再読により理解を深め評価を改めたもの、あるいは再度その完成度の高さに戦いたものを集めた。

 長編・短編十五作ずつ、散らばってしまった記録を掻き集めるように並べた。今回も今回とて、列挙する順番は、これら作品の完成度となんら関係しない。しかしだからといって、それは無意味にはなりえない。

長編

補記
  • エスケンス『過ちの雨が止む』は上半期に出た新刊ミステリの中でも最高の収穫だった。青春小説として、ハードボイルドとして、本格推理小説として、それぞれが達成すべきハードルを軽々と超えていった著者の代表作。他人の人生を追うことは、自身の人生と向き合うことでもある。ただし読む際には必ず『償いの雪が降る』を読んでからにして欲しい。
  • 小川哲『地図と拳』は「ペンと剣」*1のモチーフをそのまま世界大戦に落とし込んだ大作。全体を貫く構図の太さはいうまでもなく、細部を見ても搦手を用いた策謀劇や地図に魅入っていく人物の大河としても読めエンタメ性も高い。勿論、軍部とその周囲を描いた力強い戦争文学でもある。
  • ブレイク野獣死すべし、ロスマクの『ギャルトン事件』、ピーターズ『死体が多すぎる』はこの春から始めた古典ミステリを読む読書会での収穫。三者三様に学びがあった。ブレイクはその手記から始まる構造が素晴らしく、ロスマクはミステリを客観視するのにこれほどふさわしい題材はないだろう。ピーターズについては舞台とミステリの融合に膝を打ち、そして整った舞台だからこそ繰り広げられたそのロマンスを楽しんだ。
  • ミステリを除いてしまうと、そう多くの国内新刊小説を読めたわけではないが、宇佐見りん『くるまの娘』現代文学という蜃気楼のようなジャンルに名を刻んだ文句なしの一冊だろう。ただでさえ情感的な文章が、物語が収斂していくことで鋭さを増していく最終盤の凄まじさといったら言葉にならない。張り詰めていく文章は最後にある境地に達して、ふっと弛緩する。一方で乗代雄介『パパイヤ、ママイヤ』は正統派なひと夏のガールミーツガールもの。家族に悩みを抱えた女子高生ふたりが、少しずつ世界の視野を広げていく爽やかな青春小説の快作。彼の文章--特に会話文--は、宇佐見とはまた一味違ったポップな切れ味に満ちている。
  • 青春小説といえば、今まで読めていなかった綿矢りさ蹴りたい背中には瞠目した。誰にも決めつけられたくないけれど、周囲に認めてはもらいたいジレンマを青春として捉え、その狭間に溜まった迸る感情を描くという観点でここまで成功している作品はそうないだろう。また青春の一瞬の感情を切り取るという点では現代短歌集『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』も勝るとも劣らない。「夕映えのペットボトルのサイダーをあなたの喉がぶつ切りにする」のような一瞬の情景を捉えたカメラ的な作品から、「さてここで何を叫べばマンションのすべての窓がひらくでしょうか」など心情に迫った歌まで多種多様に収録しており、読者を観念に埋もれた「あの夏」へ引き摺り込む。
  • その面白さに我を忘れ、没頭してしまうことが稀にある。そしてウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はまさにその部類の作品だった。ファーストコンタクトモノの面白さと科学実験SF(そのようなものがあるのかは知らないが)の面白さが詰まっている。ネタバレに対して過敏な作品になってしまっているため*2多くは語らないが、ただただ面白い作品--冒険にハラハラドキドキし、二転三転するプロットに振り回され、気づけば主人公たちを応援してしまうような--を読みたければ、今はこの作品を手に取れば良い。
  • 一方で、夜毎読むのにふさわしい作品というものもある。たとえば『動物奇譚集』はまさにそうで、動物にまつわる掌編が36編収録されている。それもユーモアに溢れたものから、ホラーテイストなものまで多種多様な作品が集まっているため、決して飽きがこない名掌編集になっている。
  • ちびちびと読み返している京極堂シリーズも、『絡新婦の理』まできた。「あなたが--蜘蛛だったのですね」と推理小説におけるあやつりと暗合を、小説として極北まで持っていった『絡新婦の理』が京極ミステリのひとつの到達点であることは論を俟たないが、しかし再読の末に個人的には鉄鼠の檻を彼のベストワークとして推したい。『鉄鼠の檻』で描かれる宗教という檻が、個人に対しどう働きかけていったのか。これは間違いなく京極夏彦にしか描きえない小説であり、究極の宗教ミステリである*3。森の奥にひっそりと佇む寺院、その外界から閉ざされた静謐さ、それを容易に想起させる筆力には脱帽の他ない。
  • 再読といえば、昨年からこれまたちまちまと法月綸太郎の再読も行っている。氏の作品は古典本格を解体し、問題意識を突き詰めて再構築することで成り立っているが、『二の悲劇』では、記号化されがちな推理小説の手がかりをデコードしていくことに挑んでいる*4。その道中であやつりを一次元から次元へと進化させ、作品が帰趨した果ては、奇しくもコード化を極めたクイーン『ダブル・ダブル』だったのではないか。
  • そして新本格が漂着した先が、『月灯館殺人事件』だった。新本格以後濫造された本格を断罪し、さらには断罪するような作品--つまりは本作--すらも含め、それすら傲慢/怠惰/無知/濫造/盗作/強欲/嫉妬の成れの果てであると指摘した。ミステリと向き合うことをやめてはならない。ジャンルというものはそういうものであり、わたしたちには幸いなことに思索の手がかりがいくつもある。そのひとつにして金字塔が『論理の蜘蛛の巣の中で』だ。

 

中短編
補記
  • ここまで思ったより長々と書いてしまったので、簡単にまとめる。
  • 「君のクイズ」は問われ答えるというクイズの形式を余すことなく使い尽くしたクイズ小説。それでいてその競技性の側面を描いたスポーツ小説であり、ゆえに競技を通して自己を探求していく小説でもある。今期読めた新作中編のなかでもベスト、どころかATB級の一作。「コカコーラ・レッスン」も言葉を発見していくことで、自身に潜むエッセンスを探っていく探求型の青春小説として楽しめる。
  • 「十九歳の地図」はどうしようもない衝動の発露を地図上に爆弾を仕掛けていくことに喩え、繊細な抱えきれなさを短編の長さで表現した名品。
  • 小説の構図に挑んだ作品として「七番目の出来事」ノヴァーリスの引用」を挙げる。パワーズは短い中にいくつものマジックを仕込み、作品全体を通じてそれを演じた。奥泉の方は推理を展開させていくことと物語を展開していくこと、それに思考を繰り広げていくことを重ね合わせ、やはりそれ自体がマジックになっている。しかし奥泉はそのマジックを最後まで披露しない。仕込みだけを見せ、舞台から降りる。未だに理解はできていないが、想像を超えた想像を見たような錯覚に陥る短編だった。
  • アンチミステリ的とまで評される奥泉の作品に対し、素直に面白かったといえるジャンル小説として、ミステリのサボテンの花とSFの「百年文通」があった。どちらもそれぞれのジャンルを知り尽くした作者たちが、救われるような終着点まで連れていってくれる。
  • 一方でジャンルを究めようとした「二〇二一年度入試という題の推理小説も素晴らしい。本作や表題作の「入れ子細工の夜」は本格ミステリのゲーム性を捉えるために、階層構造をメタ的に増やしていき、犯人当てや多重推理の可能性を暗示している。この思索がどこに辿り着くのかはまだ分からないが、それでも進み続けて欲しいと思う。
  • 初読勢では最後の「最後の展覧会」は、創作をすること、創作された芸術、そしてそれを信仰した「生」の物語。自分はこういうのに弱い。
  • 「真実の10メートル手前」以後の六作は短編ミステリを学ぶために手に取った再読たち。ATB「真実の10メートル手前」、ようやくその凄さと向き合えた「横しぐれ、本格が小説を支えていた第三の時効に、多くの読者がミステリに求めるであろうサプライズが詰まった連城の「花虐の賦」。直前に置かれている「除夜を歩く」が好きすぎて自分の中で眩んでいた「蕩尽に関する一考察」は有栖川短編の中でも頭抜けた一作だと認識できたし、「Yの誘拐」では連城の「過去からの声」という補助線を引いたときに、誘拐短編としての完成度がクリアに浮かび上がったのが記憶に新しい。

 

 下半期は激流に身をとられることなく、軽やかに交わしながら、もう少しレビューとかをアウトプットできるといいなと思います。

 

 

 

 

 

 




 

*1:ここでの「ペンと剣」は人口に膾炙した用法と、原典で用いられていた意味、その両義的なものだ。

*2:某ミステリにおけるゾンビみたいな部分がある。

*3:巷で三大宗教ミステリと呼ばれる作品群がある。キリスト教を描いた『薔薇の名前』、仏教を描いた『鉄鼠の檻』、イスラム教を描いた『火蛾』の三作を指すが、この三作は『鉄鼠の檻』を軸に語ることができる。この観点からも本作の宗教世界を描いたミステリとしての凄まじさが見えてこよう。

*4:この部分の経緯については『本格ミステリの現在』収録の巽昌章「『二』の悲劇-法月綸太郎論」に詳しい。

村田沙耶香『信仰』

「"現実"は決して強固な実体じゃない。極論すればそれは、社会というシステムが人々に見せている一つの巨大な幻想にすぎない」 ——綾辻行人時計館の殺人

 

凡そ事信じ能はざる者は不幸なるかな ——内村鑑三「懐疑の精神」

 

 村田沙耶香の作品には現実と虚構を反転させる力があると思う。彼女の作品は、読者が持つ現実への無邪気な信仰に対して罅を入れてくるからだ。その割れ目から、じわじわと虚構が侵食してくる。一方で紙の上ではあくまでも現実的な筆致が続く。そしていつの間にか、小説の中にあったはずの虚構と、我々がいたはずの現実が逆転している。彼女の作品こそが本物で、我々の世界は偽物ではないか。わたしたちはなにを信じて、ここが現実だと認識していた? 水素水を飲むこととルイヴィトンを買うことの差異はなんだ? 現実に対する信仰とは、すなわち社会に対する信仰だ。では社会に対しての信仰心が薄い人はどうなる?

 

 

 

 

感想

  • 短編が6つとエッセイが2つ収録されている。どの作品も標準以上の出来だと思う。個人的ベストは「最後の展覧会」。
  • 本書を読んで再認識したのは、作者にそういう狙いがあるのかは分からないが(多分ないだろう)、非常にSF的な構造を取る作家だということである。大森望が年間SF傑作選に取っても不思議ではないほどに。特に「最後の展覧会」はロボットに宇宙文明と、かなりプロパーなガジェットを使っている。
  • これは一般的な話だと思うが、「まともさ」というのは相対的に評価される。共同体の空気を読めるから「まとも」だし、社会のルールから逸脱してしまうと「まとも」ではない。つまり我々の社会での狂人が共同体を作った場合、我々の社会での常人はそこでは狂人になる。反転するわけだ。村田沙耶香はそれを作中で意図的に行っている。
  • 読んでいくうちに、小説内の論理に支配されていることに気づく。それは我々の社会では決して「まとも」と言える論理ではないが、彼女の作品では常識として扱われている。「生存」での生存率評価と社会構造、「書かなかった小説」におけるクローンの権利についてなど、現実における小さなバグを彼女は見つけ出し、暗喩として物語を描出する。
  • そういう意味では、「信仰」は少し変わっているかもしれない。「信仰」の中には現実と同じ「まとも」な軸があるように思う。物語で描かれるのは、「まとも」から外れた対極的な二人の話だ。
  • エッセイについては語るべきことは少ない。彼女の小説についての答え合わせとして読むのも雑だろうと思う。ただ読めて良かったとも、同時に思う。
  • 以下は個別の詳細な感想である。

 

「信仰」

  • 極端な原価主義者である永岡ミキは、地元の同級生である石毛にカルトを立ち上げようと誘われる。過去にマルチ商法の勧誘に失敗してしまった経験を持つ斉川は、石毛と志を同じくし、今回のカルトでのリベンジに燃えていた。現実から夢を切り捨てたミキは自身と真反対な性格で「信仰心」の強い斉川への興味心に突き動かされてゆく。
  • 端的にいうと——こういう言い方は個人的に好みではないが——村田沙耶香という作家の「作家性」が溢れ出た短編である。彼女の作品に通底している「社会から溢れてしまった個人」というモチーフが炸裂している一作だ。
  • 本作で社会から溢れてしまったのは、視点人物であるミキである。彼女は不可視で計測不可能な「付加価値」というものに対してのペイを本能レベルで拒否してしまう癖があった。ミキにはブランドのバッグも、自分磨きのエステも、原価以上の価値を見出すことができない。彼女の中で完結しているのならばまだ救いもあったのだが、彼女は自身の悪癖を善意として他人にも押し付けてしまう。当然他人とは確執が生まれ、いつしか爪弾きにされていた。
  • そんなミキの前に現れたのが、マルチ商法にも心の底から引っかかってしまうような斉川だった。斉川はミキとは正反対に、他人を、社会を手放しで信仰している。彼女にとって、マルチ商法は他人を騙す行為ではなかったのだ。彼女にとってそれは啓蒙行為だった。つまり石毛とともに始めるカルトも彼女にとっては他人を救う治療行為に他ならない。
  • 対照的な二人を対比させながら、物語は進んでいく。ミキの中で「信仰すること」に対する信仰心が芽生えたから、歯車が噛み合ってしまったのだ。しかしそれは社会の一員として擬態する行為に他ならない。すなわちその歯車は、意図した動作を保証しない。
  • 最後のシーンについて。ミキは変化したのだろう。今までの彼女ではなくなった。彼女の原価主義思想に対して彼女自身が信仰を始めたと言えるのかもしれない。だから彼女は地動説の地面を踏み締めて叫ぶわけだ。
  • A24に映画化してほしいという感想を見かけた。たしかにこの作品のクライマックスを読んだときにはミッドサマーを想起した。その向きにもおすすめできるかもしれない。

 

「書かなかった小説」

  • 夢のような設定の、しかしこれもまた「現実」に根ざしている作品である。自分がもし複数人いれば、というのをあくまで冷静にやっている。自分以外の自分にだって同じように感情があるのだから、誰かひとりサボることなどできないし、やらない。『ドラえもん』や『パーマン』にもコピーロボットといって、自分がやりたくないことを代替させるロボットが出てくるが、現実の世界でクローンを行使しようとしてもそううまくはいかないだろう。
  • ただしそれだけには留まらない。語り手の夏子とそのクローンたちは、共同生活を送るうえでそれぞれ互いに繊細な感情を抱くことになる。夏子Dと夏子Eは性愛感情を持ってしまう。その上で夏子A——夏子は夏子Dに対してのただならぬ想いを胸に秘めることとなった。
  • 一方で、共同体にはある悲劇が訪れる。それによって、夏子Aは夏子Cとして過ごすようになり、夏子Dは夏子Aとして生活を送り始める。クローンといえど存在したはずの差異が、じわじわと消えていく。自己がゆっくりと溶けていくわけだ。
  • その上で、感情は残る。自己愛だったのか他者への愛だったのか分からない夏子たちのそれは、薄まっていく自己、あるいは境界とどうバランスを取っていくのだろうか。
  • この短編は終わりかけの「起」とびとびの「承」と「転」で成り立っている。作者インタビューによると、この小説は「書かれなかった小説」を再び文字に起こしたものだということだ。しかし、またしても完全な形では書かれなかった。最後の断章では疑問形が繰り返された後に、わずかなアイデンティティを断定して幕を閉じる。これを「結」とすべきかは、自分には判断がつかない。

 

「最後の展覧会」

  • 最後の最後にして、とてもシンプルな作品だったと思う。「芸術」に対しての信仰の物語である。同時に生に対しての信仰も描いている。

伏線か物語か/梶龍雄『龍神池の小さな死体』

「トクマの特選!」というレーベルがある。絶版になっていて手に入りにくい名作昭和ミステリを、現代風に復刊している非常に優秀な文庫レーベルなのだが、そこが今回梶龍雄の『龍神池の小さな死体』を復刊させた。ミステリマニアの中では、傑作なのにも関わらず復刊される気配もなく古書価だけが高騰していった珍本のような扱いをされていた本書だったが、目でたく容易に手に入るようになったので、早速読んでみた。

 

梶龍雄『龍神池の小さな死体』

「お前の弟は殺されたのだよ」死期迫る母の告白を受け、疎開先で亡くなった弟の死の真相を追い大学教授・仲城智一は千葉の寒村・山蔵を訪ねる。村一番の旧家妙見家の裏、弟の亡くなった龍神池に赤い槍で突かれた惨殺体が浮かぶ。龍神の呪いか? 座敷牢に封じられた狂人の霊の仕業か?(表4あらすじから抜粋)

 

 

 上のあらすじの続きでは、なんと「パーフェクトミステリ」と銘打たれている本作だが、たしかにその肩書きに恥じない作品ではあると思う。最終章の伏線回収と論理の展開の仕方は見事だし、文庫にして83ページもの紙面を割いた解決編は、なるほどミステリの面白さの根源を思い起こさせてくれるようなものになっている。

 最近巷で「伏線」が話題になった。ミステリにおける「良い」伏線というのにはいくつか種類があると思うが、この『龍神池』は良い伏線が散りばめられていながらも、あまり例をみない伏線の置かれかたをしている。というのも、第五章が全て解決編に当てられている本作では、それ以前の四章の内に散りばめられた「伏線」を回収するところから始まるのだが、この散りばめられ方が天性の物だとしか思えないのだ。印象に残るようにあからさまに書かれているわけでもなければ、二重に手を替え品を替え情報を出すことで、深層心理に残るように配置されてるわけでもなさそうだ。なのにも関わらず、解決編で回収するときに、その伏線を我々読者は失念することがない。これはおそらくカジタツの感覚によるものなのだろう。

 以上のように丹念に伏線にこだわった本作だが、以下の「あとがき」を見れば分かるように、やはり作者も本格ミステリであることを志向しているらしい。

【特別公開!】「あとがき(に代えた架空対談)」/『梶龍雄 驚愕ミステリ大発掘コレクション1 龍神池の小さな死体』|トク魔くん(トクマの特選!)|note

そこで本作を「本格推理小説」としてみると、やはり第四章のラストで美緒が放った言葉は印象に残る。

推理小説でいえば、ここで犯人を推理するデータはぜんぶ出つくしたというところなのよ」(p.397)

読者への挑戦状としてこの台詞が挿入されているのは、勘の鈍い読者にも明白だ。しかし、いわゆる「読者への挑戦状」とは当然在り方が異なってくる。これはあくまで一登場人物が放っただけであり、メタレベルが一つ上の作者が物語に介入したわけではない。じゃあただ作者がマニア心を満たすためだけに配置したかといえば、それがかえって第五章の解決編で美緒が置かれる立場への示唆になっているようにも取れる。意識的にやってるとすれば舌を巻くが、これは深読みしすぎかもしれない。

 ここまでそれなりに肯定するように感想を書き連ねているが、個人的好みでいうと、実はこの作品は少しだけ外れている。上で引用した「あとがき」で用いられた言葉を使えば、本作はおそらく「サキ型」なのではないか。本格としてプロットを巧妙に作り上げた一方で、ストーリーのちぐはぐさが目に余るのだ。そもそも過去の弟の不審死を探るために始めた探偵行のはずなのに、途中でそれが空気になってしまうのはいかがなものか。*1過去の事件と現在の事件を贅沢に用意したはいいが、ストーリー面では料理しきれていない。過去の弟の死を通じて、先日の母の死を悼み、現在の自分を省みるという、仕立て上げれば一級品になってもおかしくない材料が揃っている中で、第四章の殺意が芽生えるシーンや、自分-弟-母の関係の描写を省いてしまったことなど*2には少しがっかりしてしまった。自分の記憶が正しければ、物語を作り上げることのできる作者であることは間違いないので、もう少しどうにかならなかったのかという悔いが残る。繰り返すが、トリックのために、物語を多少歪めてしまう妥協が見えたような気がするのだ。だからこそこの作品が際立っているのは間違いないのだが、やはり個人的な好みとしては残念な思いがないといえば嘘になる。

 ただし、落とし方は嫌いではない。プロットの要請上、途中途中人間味に欠けるような言動や行動を取った智一の人間味が爆発し、物語世界にキ裂が走り、破局する。最後の最後まで読者を驚かせようとした作者の意気込みが強く感じられるし、実際成功しているだろう。

 

 最後にちらっと布教を。本作を読んで、ドラマパートに物足りなさを感じた人がいれば、ぜひ遠田潤子の『冬雷』を読んでほしい。過去の真実を確かめる探偵行の先に、浮かび上がった自分たちの有様を書いた傑作である。

 

 

 

*1:だからこそそれが再び焦点を当てられたときのサプライズが増すのだという指摘は容易に想定できるが、それにしてもやりようがあっただろうと思う

*2:他にも唐突な研究内容の紹介や、杜撰な美緒との関係などが挙げられる

『紙魚の手帖 vol.2』2021年12月号

 一体いつの『紙魚の手帖』だ? と自分でもなってますが、とりあえずこういうのは続けるのが大事なので、投稿します。エタらないことこそが命!

紙魚の手帖 vol.2』

紙魚の手帖Vol.02


収録内容

 

創作:(◎:必読、○:おすすめ)

○「羅馬ジェラートの謎」米澤穂信/<小市民>(ミステリ)
「百円玉」村嶋祝人(ミステリ)
○「沈黙のねうち」S・チュウイー・ルウ(SF)
「431秒後の殺人」床品美帆(ミステリ)
「天地揺らぐ」戸田義長(時代・ミステリ)
○「無常商店街」酉島伝法(SF)
○「曼珠沙華忌」弥生小夜子(ミステリ)
「新世界」パトリック・ネス/<混沌の叫び>(SF)

○「ウィッチクラフト≠マレフィキウム」空木春宵(SF)

「さいはての実るころ」 川野芽生(ファンタジー

「一等星かく輝けり」倉知淳/<乙姫警部>(ミステリ)

 

エッセイ:

「乱視読者の読んだり見たり」若島正

「ホームズ書録」北原尚彦

 

その他:

期待の新人インタビュー:犬飼ねこそぎ、新名智

 

ネタバレなし感想

「羅馬ジェラートの謎」米澤穂信

 年末ミステリランキング完全制覇に加え、山田風太郎賞直木賞までも獲得した米澤穂信の代表シリーズのひとつ、<小市民>シリーズの最新作。小佐内さんと小鳩くんが今回食べるスイーツは、ジェラートです。ショッピングモールのジェラート屋で見かけたのは、ずっと座り続けているのにジェラート自体に手をつけない男の人。些細な謎をわずかな手がかりから想像し推理していく小鳩くんですが、その謎の解明から新たな謎を見出し、さらにもう一つのありうべき真相が語られます。何重にも物語のレイヤーがあり、その底知れなさを感じさせる技術は、さすがの一言です。

 

「百円玉」村嶋祝人

 第18回ミステリーズ!新人賞優秀賞作。ハウスクリーニングのバイトとして、地元の団地に戻ってきた圭介。彼が掃除を進めていくたびに、十三年前の団地で起きた事件の記憶が蘇っていく。部屋に染みついた黒い手形や足跡が、圭介になにかを訴えかけているようで……。ミステリとして見ると、正直ちぐはぐさが否めませんでした。まず謎がぼんやりしているため、解決がされてもすっきりしないのです。一方でハウスクリーニングバイトの描写が、とにかく素晴らしい。読んでいてこの仕事のつらさや、めんどくささなどがいやというほど伝わってきており、彼らの心情や場の雰囲気をそのまま感じることができました。そちらがミステリ部分の瑕疵を補った形になっていると思います。デビュー作として、作者の持つ筆力を見せつけた作品でした。

 

「沈黙のねうち」S・チュウイー・ルウ

 言語能力を買い取ることのできる世界で、シングルマザーの「あなた」が、娘のリリアンの将来のために母語を天秤にかける話です。触れ込みから勝手に、昨今流行りのジェンダーSFだと思っていましたが、実態はそうではありませんでした(そう読み取れる部分もありますが)。これは例えば三秋縋の『三日間の幸福』のような、命と引き換えに何かを得ることで発生するドラマに類するものでしょう。SFとしてジャンル分けするのならば、言語SFにあたると思います。翻訳の仕方もかなり工夫されていますし、年刊傑作選に取られるような仕上がりです。個人的にはオチが弱いなと感じてしまいましたが、これはこれで余韻の残す終わり方とも言えるでしょう。

 

「431秒後の殺人」床品美帆

 死亡事故を他殺と断定できるような証拠を探すという、<回想の殺人>モノの一つです。一度事故と警察に断定されたものを、どう他殺だとひっくり返すかが焦点となるため、どんな離れ業が披露されるのかという、物語のフックとなる謎自体の出来は良かったと思います。一方で、解決の必然性が乏しいことは否めません。ここらへんは好みの問題かもしれませんが、解決編において、どれだけ偶然を偶然と片付けてしまっていいのかのライン際にある作品だと思います。単行本も出るみたいなので、とりあえずはそちらを期待といった感じです。

 

「無常商店街」酉島伝法

 翻訳家の主人公は、「近づかないで」と再三言われていた商店街に、ひょんなことから近づいてしまう。商店街に飲み込まれたが最後、自身がどこにいるのか、そもそも何者なのかも分からなくなってしまい……。
 酉島伝法の作品で、たまに味わえるポップな酩酊感を覚えることのできる作品です。今どこにいるのかも、どこへ向かうのかもわからない、その分からなさが小説として描かれているから、余計彷徨ってしまう、そんな居心地の悪さに満ちた良作だったと思います。

 

曼珠沙華忌」弥生小夜子

 浮世離れした、美貌の双子にまつわる殺人が、幾多の語り手によって耽美に物語られる見事な一作です。双子だけにしか通じ合うことのない極まった関係と、そんな彼らに対して誰かが嫉妬心や羨望を向けてしまった結果、起こってしまった異常な殺人事件の構図が素晴らしい。気が早いですが、単行本にまとまって、色んな人に読んでもらいたい一作です。

 

ウィッチクラフト≠マレフィキウム」空木春宵

『感応グラン=ギニョル』の作者、空木春宵の新作短編です。現代版魔女狩りをテーマに、気づけばすごいところまで読者を連れていってくれます。VRやARなどが普及しきった未来図を描いており、「感応グラン=ギニョル」や「Rampo Sicks」の大正浪漫やサイバーパンクさというよりも「地獄を縫い取る」の世界観に近いです。個人的に『感応グラン=ギニョル』の中では「地獄を縫い取る」が一番好きなので、この作品は最高に楽しめました。本当に勝手な所感ですが、魔女のVR世界と<魔女達の魔女>の関係が、ミサカネットワークとミサカ総体の関係に見えたのは、ただの妄想でしょうか……。

 

ネタバレあり感想

※がっつりミステリとしての仕掛けやオチを割っています。

 

「羅馬ジェラートの謎」米澤穂信

 クレーンが電線に引っかかったことをあからさまに書いていたり、小佐内さんが美味しいという言葉を避けていることがほとんど隠さずに書かれていたため、ジェラートが溶けていて不満に思っているという第一の推理は、ある程度予想がつきます。また溶けないジェラート、というところから食品サンプリングの社員が来ているという第二の推理も、(ここは少しセコいなと思ってしまったところですが)十分予想できる範囲です。ただしそこは米澤穂信ですから、もちろんこれだけでは終わらせません。ジェラートを前にして待っている男のその目的を想像したとき、ここまでに披露された二つの推理ががっちりと組み合って、物語の背景をがらっと一変させています。少しぞくっとするような、<小市民>シリーズらしいオチです。

 

 

『紙魚の手帖 vol.1』2021年10月号 

 『ミステリーズ!』が終わり、新たに総合文芸誌として刊行された『紙魚の手帖』。その創刊に立ち会えたので、折角ならと、レビューの練習もかねて読書記録を残すことにします。

 

紙魚の手帖 vol.1』

紙魚の手帖Vol.01


収録内容

 

特集:

第31回鮎川哲也賞、第18回ミステリーズ!新人賞総評&第21回本格ミステリ大賞全選評

創作:(◎:必読、○:おすすめ)

○「三人書房」柳川一(ミステリ)
○「ゼロ」加納朋子(ミステリ)
「スフレとタジン」近藤史恵/<ビストロ・パ・マル>(ミステリ)
○「白が揺れた」櫻田智也/<魞沢泉>(ミステリ)
「魚泥棒はだれだ?」ピーター・トレメイン/<修道女フィデルマ>(ミステリ)
「108の妻」石川宗生(文芸・SF)
「セリアス」乾石智子/<オーリエラントの魔道師>(ファンタジー
「フォトジェニック」秋永真琴(文芸)

その他:

期待の新人インタビュー:千田理緒、大島清昭

 

ネタバレなし感想

「三人書房」柳川一

 第十八回ミステリーズ!新人賞受賞作。平井太郎江戸川乱歩として世に出る前、古本屋を営んでいたときに舞い込んだ謎にまつわる話です。いわゆる「日常の謎」の一種であり、仕掛け自体は先行作があるものの、その扱い方がかなり巧みだったと思います。ミステリとしての仕掛けを越えて、短編そのものの仕掛けになっていたのが見事でした。文体や登場人物たちのセリフが当時の雰囲気を醸し出しており、小説としても高いレベルでまとまっていたのではないでしょうか。ミステリ専門誌としての「ミステリーズ!」から、総合文芸誌である「紙魚の手帖」へと移り変わっていく象徴のような短編だといえるかもしれません。

 

「ゼロ」加納朋子

 人とのコミュニケーションに不安を抱え、その寂しさを埋めるために愛犬ゼロを飼い始めた大学生の玲奈。ゼロとの朗らかな交流の裏で、彼女に怪しい影が忍び寄り……。あるイベントを通じて玲奈が最初から持っていたかけがえのないものに気づく、というありきたりなプロットではあるものの、まずは玲奈とゼロのあたたかな交流が丁寧に描かれていることによって、最後までぐいぐい読ませられる短編になっていたと思います。ですがやはり特筆すべきは、ゼロと玲奈の視点が交互に書かれることによって炸裂した仕掛けでしょう。途中ちりばめられた伏線が、仕掛けが明かされたときに一気に収斂していく感じは間違いなく上質なミステリのそれであり、『ななつのこ』以来「日常の謎」の第一線を走り続けた作者の筆力を感じさせられました。終わり方もやさしさに充ち溢れた大団円で、さわやかな読後感が印象的です。

 

「白が揺れた」櫻田智也

 日本推理作家協会賞本格ミステリ大賞も受賞した<魞沢泉>シリーズの最新作。今回も今回とて質の高い作品でした。この安定感は泡坂妻夫の<亜愛一郎>シリーズのそれに匹敵するといっていいでしょう。この<亜愛一郎>シリーズと本シリーズは、亜愛一郎と魞沢泉の造形もさることながら推理に使われるポイントが非常に似通っており、人情味あふれる推理短編に仕上がっています。そんな最新作は、山狩りの最中に起きた銃殺事件。誰が犯人であってもおかしくない状況で、魞沢泉の推理が光ります。

 

「魚泥棒はだれだ?」ピーター・トレメイン

<修道女フィデルマ>シリーズからの短編。どうやら春に最新短編集『修道女フィデルマの采配』も刊行されるようです。さて、まずフィデルマのもとに舞い込んだのは厨房から消えた魚の謎でした。そこに立ち入ることのできた者は誰にも盗む機会がなかったのです。そこでとりあえず様子を見ようとフィデルマが厨房に向かったところ、なんと貯蔵室の戸の中から刺殺死体が見つかりました。ということで、フィデルマは「魚泥棒の謎」と「殺人の謎」の二つの謎に挑むことになります。正直それぞれの真相自体は、いまさらあっと驚くものではありません。しかしそこに至るまでの過程と、なにより二つの謎のつながりが魅力的です。

 

「108の妻」石川宗生

 タイトル通り108人(実際はその半分くらい)の妻が描かれます。『ホテル・アルカディア』の<愛のアトラス>のどこかに挿入されてもおかしくないような掌編です。妻が「点描の妻」や「強打者の妻」、「メタフィジカルな妻」など色々な姿を見せるのですが、それこそ『ホテル・アルカディア』と同じく彼のユーモアセンスに合うかどうかで評価は分かれてきそうです。個人的には石川宗生はかなり好きなので、今回も楽しく読めました。ただ理解は正直できていないですが……。

 

「フォトジェニック」秋永真琴

「#ファインダー越しの私の世界」を掌編化したらこうなるでしょうし、そもそもこのタグの究極系はこういう作品なのだと思います。写真を撮ることが好きな後輩とのすれ違いや、後輩に対してかけた言葉が最後に自分に返ってきたあとの喪失感などの”エモさ”を丹念に描いている作品です。本作になにか思うことがあったなら、ぜひ同じ東京創元社から出ている『Genesis 一万年の午後』に収録されている「ブラッド・ナイト・ノワール」にも目を通してほしいです。こちらは吸血鬼のギャングと人間界の王女のボーイ・ミーツ・ガールで、種族間を超えた出会いと冒険が描かれています。

 

ネタバレあり感想

※がっつりミステリとしての仕掛けやオチを割っています。

 

「三人書房」柳川一

 なんといっても、江戸川乱歩が登場するというのが効いています。この仕掛け自体は、「謎を作ることで興味をそらす」*1ことの変奏だといえると思いますが、その仕掛けを作ったのが若き日の乱歩だと言われてしまうと納得感がありませんか。実際にその謎自体の完成度も高いものでした。葉子に手紙の存在を信じてもらわないといけない=暗号が解けそうで解けない現実味のあるラインをせめなければならないと要請されている中でのあの暗号も絶妙です。視点人物である井上=読者を葉子と同じ立場に立たせることによって、葉子が騙されたことに納得感を持たせることもできていました。さらに、最後まで隠されていた井上が上京してきた理由が、そもそも謎を作らなければならなかった理由と対比されて明かされた構成もばっちり決まっています。さて、この短編で最初に提示された謎は「謎に出会った乱歩が何故小説にしなかったのか」でしたが、これも最後まで読めば理由は明らかでしょう。この高い構成力には目をみはるばかりで、次作にも期待が持てます。

 

「ゼロ」加納朋子

 単純なトリックながら、最大限にその効力を発揮させており、加納朋子の本領を見せつけられました。ゼロと玲奈の視点が交互に入れ替わること、途中途中なにかおかしさを感じることで、なにかしらの叙述トリックが仕掛けられているのだろうなということ自体は察することができると思います。しかし、ドラマの一番盛り上がり部分でそれが開示されたことにより、なぜ猫ではなく犬だったのかや玲奈が犬を飼いたかった理由などまで説明され、成長小説としてより厚みを増したのではないでしょうか。

 

「白が揺れた」櫻田智也

 事件が発覚する前から犯人のことを気にかけていた、というオチが魞沢泉の魅力を表しているようでかなり気に入っています。串呂がハンターとしての矜持を持っていることを理解しているからこそ導かれる推理というのが、魞沢泉のおとぼけさの中にある無邪気さを示しているようで、ユーモラスな読後感につながっているのでしょう。また、「人を殺した銃弾が撃ち込まれた鹿を食べたくない。だからルーティンワークである血抜きを怠った」という、人として納得のいく感情が含まれた手がかりの丁寧さにひかれます。こういうあるあるや共感のできる部分を推理の要にする手法は泡坂妻夫がよくとる手法ですが、その正統な後継者であることを感じさせる一作でした。一方で、視点人物を犯人にするというところでのフェアプレイ性は気になるところです。そこに対してのケアはほとんどなかったと思います。しかしその視点人物=犯人が犯行現場に違和を感じることで、串呂を容疑者枠からどちらかというと読者枠へと移行させた上での意外性がありました。犯行現場に違和感を覚えた理由自体もロジカルに説明されており、フェアネスは欠けてあるものの、そこを欠点と感じさせない作品に仕上がっています。……そもそもフェアプレイにこだわる必要のない作品なので何の問題もないとは思いますが。

 

「魚泥棒はだれだ?」ピーター・トレメイン

 よく読んでみれば、確かに「マンホーンはまっさらな前掛けを法衣の上に巻いていたが~」とあり、しっかりと登場時点で仕込みが完了していることが分かります。ただ肝はそこではなく、マンホーンが犯人だとわかることによって厨房の状況が分かり、だからこそ魚泥棒の真犯人(?)である猫がどうどうと立ち入ることができたとつながっていくところでしょう。

*1:選考委員も務めている米澤穂信も女郎蜘蛛の会なんていって、<古典部>シリーズの中で使っていました。