載籍浩瀚

積んで詰む

2023年下半期読書録

 いろいろとせわしない昨年だったが、なんやかんやここまでたどり着いた。今年は、よりせわしなく、全身全霊をかけるべきことが多くなる予感がひしひしとしているが、まあなんとかなると信じて。

 ということで2023年下半期に読んだ本のうち、長編10冊ならびに短編10本を紹介する。列挙される順番は決して優劣によるものではない。

 

長編

 

  • 下半期に読んだ一冊として、なんといっても外せないのは佐藤究による新作長編『幽玄F』だろう。ひとりの青年の半生を描いた青春小説として本作は目をみはる力を持っている。漠然とした夢を叶えるために一生を賭す。かれの夢は一種の呪いだ。自身でもなにがかれを満足させるのかが不明瞭で、それでも自身を納得させるために運命を手繰り寄せていく。
  • 『幽玄F』と同じく個人の半生に焦点を当てていて、しかしカメラの位置が違うのが宮内による『ラウリ・クースクを探して』だ。ミステリ的な面白さもありつつ、しかしその根幹にある技術、革命、そしてそれに翻弄された少年たちの物語がとにかく心を掴む。大きな歴史のうねりがいかにしてひとりの人生を狂わせたか、それをルポ形式で活写していく。
  • この二作を極限まで突き詰めていったのがオースターによる『ムーン・パレス』と言っていい。目的を失い、セントラルパークにて身をやつすあたりの描写には読んでいてひりつきが止まらない。なにも掴みようがない状況というのを、ここまで書くことができるのかと唸らされた。
  • 「小説を書くこと」を書き続けている乗代雄介が、会話を書くことにフォーカスしたのが新作『それは誠』である。修学旅行の最中のちょっとした冒険をかいた青春小説としても一級だが、しかしこの小説を読むときには、会話を書くとはなにかという点に想いを巡らしたい。小説では、書き分けの難しさから三人以上の会話が避けられる傾向にある。しかし鼎談という言葉が用意されているように、日常に三人以上の会話はありふれている。小説が日々の写し絵ならば、避けては通れない問題だ。本作はそこに挑んでいる。
  • 同じく小説を書くということに挑み、さらには小説を掌握しようとしたのが町屋良平による野間文芸新人賞作品『ほんのこども』である。町屋は小説を掌握するために、文章を徹底しようとした。しかし作品を見るに、かえって翻弄されているのではないかということが窺い知れる。その書き手と書かれるものの間に見える攻防戦にあるなにかを、わたしはまだ読み解けていない。ただなにかがあるということだけが読めたのだ。
  • ウィンズロウのデビュー作『ストリート・キッズ』は作者らしい一分の隙もない高品質な私立探偵小説だ。失踪人を探しもとめるという私立探偵小説のテンプレートをなぞる構造によって書かれてはいるが、挿話のキレと無駄のなさがずば抜けているからか、その様子はただの私立探偵小説にとどまらない。たとえば徐々に探偵として一人前になっていく主人公の様子は、少年が青年へと責任を持った存在に変貌していく成長小説としても読める。
  • 一方で、少女が強制的に責任を負わされていく青春小説がホリー・ジャクソンによるピップ三部作の最終章『卒業生には向かない真実』である。探偵行為に伴う責務と少女の成長を重ねて書いていた本三部作は、行きつくところまでたどり着いた。一瞬一瞬をかけがえのないものとして書くのが青春小説の肝だとすれば、本作は青春ミステリとして、ポイントオブノーリターンを書ききった傑作だ。
  • 青春小説の、その戻れなさを書いた秀作と言えば辻村深月による『島はぼくらと』もそうだ。「今」は「今」でしかないという単純な事実を、少年少女がどう受け止めるか。そして「今」の先へ進むことができるのか。「今」の美しさを残酷にも描きながら、それでも先に進む彼ら彼女らのたくましさに勇気づけられる。辻村小説のなかでも、推したい一冊がまた増えた。
  • 今年はミステリ業界がざわつくことが多かったが、その嚆矢となったのが〈百鬼夜行〉シリーズ新作刊行だったのは論を俟たないだろう。その『鵼の碑』もたしかにすごかった。しかしここでは新作刊行に合わせて読み、そしてレビューもした『塗仏の宴』を取り上げたい。詳細な読みは所属しているサークルでのレビュー*1を参照していただき、ここでは小説の構造とはここまで美しく組み立てられるものかと感服したというまでにとどめておく。

  • ミステリを読む・書くというので、いかに推理をしないかという問題意識を抱えた下半期だった。その解決策のひとつとして、倒叙ミステリというものを考えていた。すると倒叙コンゲーム性の由来や倒叙が取る構図について踏み込みたくなった。その倒叙の構図という点で、もっともチャレンジングなことをやっている作品が石持浅海『君の望む死に方』だろう。こちらも詳しくはレビュー*2を参照していただきたい。本作では探偵というものを一段上の存在にすることで、推理という作業を抹消できる可能性を感じさせてくれた。

  • 下半期、ほかには『ハンチバック』、『ぼくは勉強ができない』、『恋の幽霊』、『造花の蜜』などを楽しんだ。また『夏と冬の奏鳴曲』読書会主宰を通して、一段とミステリへの見通しが立ったようにも感じている。エラリー・クイーンという圧倒的な存在をどう超克するか、ミステリ作家は挑み続けなければならない。

短編

  • 「君が手にするはずだった黄金について」小川哲
  • 「アスモデウスの視線」初野晴
  • 「だるまさんがかぞえた」青崎有吾
  • 「命の恩」米澤穂信
  • 「或るスペイン岬の謎」柄刀一
  • 「春の章」古野まほろ
  • 「いつになったら入稿完了?」阿津川辰海
  • 「三人書房」柳川一
  • 「パノラマ・マシン」呉勝浩
  • 「最後の一冊」大倉崇裕

 

  • 下半期で圧倒的に面白かった短編集は、またしても小川哲の『君が手にするはずだった黄金について』だった。そのなかでも特に好きなのが表題作の「君が手にするはずだった黄金について」である。小川の短編力は、はっきりいって異常だ。読者に寄り添う力が強いからこそ、序盤から読み手を作品に引き込むことができる。それが小川作品の、特に短編の強みなっている。時流、そのなかでも「他人の見方」を捉える能力が高いのだろう。本作は、そして本短編集は、その能力をいかんなく発揮した凄みのある作品集である。
  • 下半期に入り、ぽつぽつと〈ハルチカ〉シリーズの読み返しを始めた。それは青春ミステリと向き合うためであるが、あらためて初野晴の技巧の高さに驚き続けている。学生がその箱庭から一歩先へと行く手段としてミステリを組み込んでいる本シリーズでは、たびたび怪作が生み出される。「アウモデウスの視線」もそのひとつだ。魅力的な日常の謎を解くと、必然的に学生の外の世界を見せつけられてしまう。箱庭の外にも、世界は広がっている。そこはだれかが守ってくれるような場所ではなく、たびたび割り切ることのできない決断を迫られる世界なのだ。
  • 下半期ベスト短編集を挙げるとすれば、真っ先に心当たりとして挙がるのが青崎による『地雷グリコ』だ。そのエンタメ性の高さは、今年一年どころかここ数年を振り返っても群を抜いている。ただただ面白い頭脳バトルで、そのコンゲームはもはや異能バトルの域にまで達している。そのなかでも気に入った一作が「だるまさんがかぞえた」だ。達成すべき条件のハードルの高さ、それを踏まえた一歩目の衝撃、そしてそれらを鮮やかにこえていくラストと、パズルのようにきれいにはまっていく伏線たちには脱帽だ。
  • 今年も年末ランキングを席捲してしまった米澤の『可燃物』からは「命の恩」を推したい。どの作品もよくできていて甲乙つけがたいが、「命の恩」はある程度古典的な真相の、その隠しかたが巧みであるうえ、問いの視点を変えることで真相への説得力を高めるというミステリ小説の書きかたの点でも見事だった。
  • 新作本格ミステリ短編からは柄刀の「或るスペイン岬の謎」を。柄刀国名シリーズの掉尾を飾る短編集『或るスペイン岬の謎』の表題作は、これまで以上にロジックを詰め込んだ一作だった。本シリーズでは唯一の長編『或るギリシャ棺の謎』がやはり一つ抜けて好きだが、そのほかの短編だと本作だろう。
  • 新作枠、そしてロジックといえば、まほろじっくが九マイル形式で炸裂した『ロジカ・ドラマチカ』を忘れてはならない。ちょっとした一言から推理を引っ張りだしていく、執拗な余詰めを含めた、隙を見せない論理は相変わらず圧巻だ。そのなかでも一作目「春の章」は、九マイル形式特有の飛躍と、まほろらしいネチネチとした緻密な論理が組み合わされた良作だ。
  • 新作ミステリ短編枠だと、阿津川の『午後のチャイムが鳴るまでは』から「いつになったら入稿完了?」ならびに柳川『三人書房』から表題作の「三人書房」も良かった。前者は文芸部を舞台にした青春ミステリかつ、タイトルからもあらわれているはやみねへのリスペクトがもっとも見えた一作。後者は江戸川乱歩を探偵役にすることが、短編として重要な手がかりになるという手さばきを見せた秀作だ。
  • ミステリから少し離れ、奇想のアイデアを上手く形にしたのが呉勝浩による「パノラマ・マシン」だ。実験小説の面白さを秘めつつ、暗い笑いが出るオチに着地させる。
  • 長編では『君の望む死に方』だったが、短編の倒叙では〈福家警部補〉シリーズから「最後の一冊」に惹かれた。推理を描かない手法として倒叙を思案したというのは先述の通りだが、本シリーズを読むと倒叙として描く推理の面白さに気づかされるから困ったものだ。

 

 年を明けて2024年は、もっと幅広く、そして深く「本を読む」ことができればよい。昨年は特に、自身の読めてなさに気づかされた一年だった。物理的な制限もあるため、今年の、特に上半期は再読が増えるような気もするが、これを機に読み溢しをひとつずつ拾っていければと考えている。