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Q・パトリック『Re-ClaM eX Vol.4』

 海外クラシックミステリを紹介する同人サークル、Re-ClaM編集部による同人翻訳誌『Re-ClaM eX』の第四巻。これまででセイヤーズやホック、H・C・ベイリーなどの未邦訳作品が紹介されてきた『Re-ClaM eX』が今回取り上げたのは〈ダルース夫妻〉シリーズでおなじみのQ・パトリックだ。本同人誌には2本の中編「出口なし」、「嫌われ者の女」に1本の短編「待っていた女」が収録されている。

 Q・パトリック(あるいはパトリック・クェンティン)の作品の特徴として、「強感情」が挙げられる。短編集『金庫と老婆』のいくつかでもうかがえるが、偏執に思えるような感情が引き金となって起こる事件を書くのに長けている。これはもうひとつの特徴でもある、一見テンプレ的状況なのにも関わらず、読んでいるとそのシチュエーションになぜか没入しているというクェンティン的マジックにも通じている。本誌ではそのようなクェンティンの楽しみを味わうことができる作りになっている。

 

「出口なし」"This Way Out"

 シーリアという愛しの彼女を太平洋戦争への出兵中に寝取られてしまったスティーブは恨みを晴らすために間男トニーを殴り昏倒させてしまう。その後少しの時間を空け再び現場へと戻ると、なんとトニーが銃殺されていた。さらには現場に、出兵前にシーリアへと贈ったはずのコンパクトが残されていた。

 中編を通じたフーダニットの構図が優れている。「はたしてシーリアがトニーを殺してしまったのか?」を知るために「誰がトニーを殺したのか?」という問いが序盤で立てられるのだが、それをコンパクトという小道具を使って「コンパクトはどのように現場に現れたのか?」という問いにすり替えている。ここでコンパクトという小道具が痴情のもつれ、金銭絡みでこんがらがった人間関係のそれぞれを象徴するアイテムになっているのが見事。例えばシーリアとスティーブにとっては互いの愛を確認し合うための一品だったのだが、実はシーリアとトニーの間にもこのコンパクトにまつわるいざこざがあり、もっといえばトニーとその妻の間にもこのコンパクトが現れる。そのために、トニーを殺した際にコンパクトをそこに持って行ったのは誰か? という問いは単に誰が殺したのか? という問いとして成立しているだけにとどまらない。コンパクトが犯人にとってどういう意味を持っていたのか? なぜコンパクトを現場へと運んだのか? といったいくつにも重なり合う問いとして生まれ変わるのだ。単純なフーダニットがひとつの小道具によっていくつもの展開を生んでいるのは、さすがの手腕だ。

 ということでこれはフーダニットものの中編ではあるのだが、一方でコンパクトの旅路を追うメロドラマでもある。だからこそ作品の終幕が痛切に響く。

 

「待っていた女」 "The Woman Who Waited"

かくてエラリー・トリンブルの人間性は、それぞれの建物の属する地区と同じく、すなわちスチュアートの「ジキル」とカーターズウィルの「ハイド」とに分割されたのであった。

 そう。エラリー・クイーンは『中途の家』を思わせるような設定がちらちらとこちらをのぞいてくる、なんともマニアック? な短編だ。短編といってもかなり短く、だからこそ保っているような作品ではある。ただしそうはいえど、さらっと使われるトリックにはささやかながらセンスを感じさせる(リンク先軽いネタバレ*1)。また編訳者解題でも触れられているような手のひらの上で踊らされる構図がなかなかに面白い。

 

「嫌われ者の女」 "The Hated Woman"

「出口なし」で既視感のある(発表順的には逆だが)、露骨に嫌なやつが方々で恨みを買い、挙げ句の果てに殺されるというテンプレ的状況から幕を開ける一作。恨みの買い方もこれまた痴情のもつれに金銭関係とどこかで見たような内容だ。しかし、そんな同じような状況から全くもって別の展開へと読者を誘うのがこの作家のすごいところだ。

「出口なし」と比較すると、こちらのほうが全うに犯人探しをしており、しかも作者も犯人を隠そうと努力しているのがうかがえる。ただ編訳者解題にて仕掛けが現代の読者にはわかりやすすぎるかもしれないと懸念されているように、たしかにシンプルゆえの見えやすさはあるのだろう。個人的にはこのくらいでちょうど良かったのでかなり楽しめた。それというのも、これまた編訳者解題で指摘されているように、本作は演劇的要素がかなり全面に押し出されているからだ。たとえば事件のあらましを説明するのにも、まず現場の様子(=舞台設定)が詳細に語られ、そのつぎに容疑者たちの動線と物品の動きがひとつずつ語られていく。ある意味で淡々としているその叙述は、絵を思い起こすと面白いのだが、とくに自分のような不真面目な読者にとっては、ただ読むという際にこんがらがってしまいかねない。ここで仮に複雑な仕掛けをこらされても困るので、個人的にはこの程度のシンプルさがちょうどよく楽しめた。

 また既述したが、終わり方や、事件のきっかけとなったある感情の変化が、「出口なし」ととても対照的なのも良かった。これらが同時に読めたことをうれしく思う。

 

 総合して、やっぱりパトリック・クェンティンはとても面白い作品を書くということが確認できた。まだまだパトリック・クェンティンには未邦訳作品がたくさん残っているようなので、出版社のみなさんに邦訳を願いつつ――。

*1:「あるものを消す」というのは最初から認知していたという前提ゆえに割合思いつきやすい認知ハックだが、「ないものを出現させる」というのには、Qパトの時代には特にセンスのいるトリックだったのではないか。いまではホログラムなりなんなりでそういうものを見ることもあるが、当時ではゴーストストーリーだっただろう。