載籍浩瀚

積んで詰む

2021年上半期読書記録

 新刊は1年通して記録をつけるという無駄な信念があるので新刊を除いた上半期分の読書記録です。

 全体的な傾向としては未読作を読むよりも既読作を再読した方が多かった気がする。まあ読書会とかがいっぱいあったり、その準備をしたりしたのが影響してそう。下半期はいっぱい未読作を消化したい。というか積読を消化したい。あと反省点としては結構再読がミステリに偏ってしまったことくらいですかね。

 それはさておき面白かった、というより印象に残った本十冊くらいを適当にピックアップしたいと思います。順不同ってわけでもないけど、ランキングは気まぐれです。少なくとも作品の完成度だけではない。

 

 

『朝霧』北村薫

前作『六の宮の姫君』で着手した卒業論文を書き上げ、ついに学窓を巣立つ時がやってきた。出版社の編集者として歩み出した《私》が巡り逢う不思議の数々。謎解きの師でもある噺家、春桜亭円紫師匠に導かれて迎える幕切れの鮮やかさ、切なさが胸に迫る。寥亮たる余韻は次作への橋を懸けずにはいない。“物語”の伏線に堪能する、《円紫さんと私》シリーズ第五作。

 

 今期最高の収穫はこのシリーズの再読だったと思う。今回は一シリーズからは一冊のみを選ぶという縛りを自らに課したが、もしこの縛りを課さなかったら、十冊中の四冊は間違いなく《円紫さんと私》シリーズで埋まっていた。

 このシリーズには大学生の「私」が数々の謎と物語に出会い、それらを鏡にして自分と向き合って、自らの殻をやさしく破っていく成長小説の側面がある。本作『朝霧』で「私」は学生という身分を終えて社会へと羽ばたっていくのだが、この巣立ち方が小説として非常に美しく感じたのだ。例えば高校を卒業して大学に入ったとき、たしかに環境の変化はあったものの、でもそれは決して不連続でなかったように思う。この連続的な移ろいを『朝霧』では学生/社会人という大きな隔たりをまたぎながらも、しっかりと描いてみせたのである。もちろん物語それ自体にまつわる謎を紐解いた前作の『六の宮の姫君』や大人になった「私」の目線が描かれる『太宰治の辞書』、先に大人になっていく姉との確執を描いた『夜の蝉』も最高なのだが、今は成長小説の終わりとその先を描いた唯一無二の作品である本作が無性に心に残った。

 

『冬雷』遠田潤子

大阪で鷹匠として働く夏目代助。ある日彼の元に訃報が届く。12年前に行方不明になった幼い義弟・翔一郎が、遺体で発見されたと。孤児だった代助は、日本海沿いの魚ノ宮町(おのみやまち)の名家・千田家の跡継ぎとして引き取られた。初めての家族や、千田家と共に町を守る鷹櫛神社の巫女・真琴という恋人ができ、幸せに暮らしていた。しかし義弟の失踪が原因で、家族に拒絶され、真琴と引き裂かれ、町を出て行くことになったのだ。葬儀に出ようと故郷に戻った代助は、町の人々の冷たい仕打ちに耐えながら、事件の真相を探るが……。

 

 ドラマとミステリがうまく融合した作品だった。主人公もヒロインも誠実に生きているのに、周囲や村に残る因習のせいでどうにもうまくいかないもどかしさや、自分の存在価値を他人に押しつけられたのにそれを奪われてしまう脱力感などが、エンタメを逸脱しない程度に上手に描かれている。ミステリとしても最後の展開は目まぐるしく圧巻で、読み終わったときに今までの物語がすっと見通せるようなそんな快感が残る。力作である。

 

『フォックス家の殺人』エラリイ・クイーン

ライツヴィルに帰還した戦争の英雄デイヴィー・フォックス。激戦による心の傷で病んだ彼は妻を手に掛ける寸前にまで至ってしまう。その心理には過去に父が母を毒殺した事件が影響していると思われた。彼を救うには父の無実を証明するほかない。探偵エラリイが十二年前の事件に挑む。

 

 本作と『十日間の不思議』が完全新訳で刊行され、『靴に棲む老婆』と『ダブル・ダブル』の新訳も発表されて、今こそクイーンを読むとき......だと思う。さて国名シリーズを終えて文学性を獲得しただったり人工性を消せるようにになったなんて言われている中後期クイーンの作品だが、個人的にはそんなことよりもライツヴィルという社会のミニチュアにおいて探偵という歪なキャラクターがどういう役割を果たすのかに挑んだ『災厄の町』や本作が大好きなのである。問題としてよく取り上げられる最後のオチ自体も、全部読めば決して突飛なものでないのが良くわかるはず。こういうのを読むと、クイーンはやはり史上最高のミステリ作家の一角だと思わされる。

 

限りなく透明に近いブルー村上龍

米軍基地の街・福生のハウスには、音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。そんな退廃の日々の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめく――。

 

あたし海に入るわ、この中にいると息が詰まるのよ、離してよ、離してよ

 刺さった表現大賞2021年上半期受賞作品。この作品、比喩というか情景描写がとにかく上手い。特に上で引用した「海」の場面は巧みで、これは恋人のリリーが雨の降るトマト畑に飛び込もうとするシーンなのだが、トマト畑を海という全くかけ離れたもので喩えておきながら、その場面の情景と登場人物の心情を目の前にばっと広げることに成功しているのである。さらに、恐らくここらへんの場面は最後の「限りなく透明に近いブルー」に気づく場面と対比させてあるはずなのだが、この対比についても、「夜明けの空がガラスに反射した透明に近いブルー」と「<深夜のトマト畑>〜<深夜の海>の深く黒に近いブルー」と色ではっきりと対比させてある。このように情景描写を比喩を用いつつ多角的に反芻させるという、高度なんて言葉じゃ足りないことをいくつもやってのけているのがこの作品なのだ。

 乱交パーティーをしたあとに恋人と愛を語ったり、薬物に溺れてたわいない空想にふけったり、そんな空虚さを超えた切なさや、社会という巨大な構造体の中で何者にもなれない不安感や寂寞感を描いたという意味でも素晴らしい作品なのは間違いないのだが、でもやっぱりそんなのはどうでもよくて、純粋に村上龍という作家の描写力に惚れてしまった。

 

『人間たちの話』柞刈湯葉

どんな時代でも、惑星でも、世界線でも、最もSF的な動物は人間であるのかもしれない……。火星の新生命を調査する人間の科学者が出会った、もうひとつの新しい命との交流を描く表題作。太陽系外縁部で人間の店主が営業する“消化管があるやつは全員客"の繁盛記「宇宙ラーメン重油味」。人間が人間をハッピーに管理する進化型ディストピアの悲喜劇「たのしい超監視社会」ほか全6篇を収録。稀才・柞刈湯葉の初SF短篇集。

 

 読んでてとても楽しい短編集だった。すごくSci-Fi的な作品でありながら、藤子・F・不二雄のような、すこしふしぎなといったテイストで読みやすい。実際「宇宙ラーメン重油味」に登場する宇宙人の造形は、自分の中では完全に藤子先生のタッチだった*1。個人的にはオーウェルの『一九八四年』のオマージュである「たのしい超監視社会」と一体生命とはなんなのかを問う話である表題作「人間たちの話」が非常に好みであった。特に後者は、あとがきで書かれているように「宇宙生命とのファースト・コンタクトは探査機による発見ではなく会議による認定だろう」という着想がとても面白く、そして納得させられた。

 

『第二の銃声』アントニイ・バークリー

高名な探偵作家ヒルヤードの邸で、ゲストを招いて行われた推理劇。だが、被害者役を演じるスコット=デイヴィスは、二発の銃声ののち本物の死体となって発見された。事件発生時の状況から殺人の嫌疑を掛けられたピンカートンは、素人探偵シェリンガムに助けを求める。二転三転する論証の果てに明かされる驚愕の真相。探偵小説の可能性を追求し、時代を超えて高評価を得た傑作。

 

 読んでなかったシェリンガムシリーズを読みつつ本作や『毒チョコ』などを再読したのだが、同シリーズの中で一番好きな作品がこの『第二の銃声』である。通して読んでみると、この作品までにバークリーが探偵小説に投げかけた疑問を総括するような作品になっていることが分かると思う。「ミステリのお約束」を逆手に取るような作家性なのでミステリの入門には向かないかもしれないが、個人的におすすめしたい一作。

 

『誰彼』法月綸太郎

謎の人物から死の予告状を届けられた教祖が、その予告通りに地上80メートルにある密室から消えた!そして4時間後には、二重生活を営んでいた教祖のマンションで首なし死体が見つかる。死体は教祖なのか?なぜ首を奪ったのか?連続怪事の真相が解けたときの驚愕とは?

 

 ミステリは面白いし、新本格はとても面白いし、法月綸太郎は最高に面白い。新装版が出たので『密閉教室』読書会のついでに再読したのだが、この再読によって評価が一気に高まった。以前法月綸太郎シリーズを読んだときは、やっぱり『頼子のために』などの印象の方が強かったが、読み返してみると『誰彼』が同シリーズの中でベストかもしれない。魅力的な謎が、捜査によって不可解さを増したように見えて、最後にはするりと紐解かれる。今さら言うまでもないが、凄腕の作家である。

 

『向日葵を手折る』彩坂美月

父親が突然亡くなり、山形の山あいの集落に引っ越した小学校6年生の高橋みのり。分校の同級生と心を通わせはじめた夏、集落の行事「向日葵流し」のために植えられていた向日葵の花が、何者かによってすべて切り落とされる事件が起きる。同級生たちは「あれは向日葵男のしわざだ」と噂するが、さらに不穏な出来事が続き……。あざやかに季節がめぐる彼女の4年間と事件の行方を瑞々しい筆致で描く、烈しくも切ない青春ミステリ。

 

 青春ミステリとは青春小説と推理小説が上手く融合したものなはずで、それはその作品が青春小説として、あるいは推理小説として単品で読まれたときに耐えうる作品でならねばならないと思う。本作は特に青春小説として良くできていて、幼少期に抱く大人や社会への不信感と憧憬のアンビバレンスさが集落の人との交流や「向日葵男」という怪人が起こす事件を通して描出されている。一方でこの怪人が起こす事件の展開もまた巧みであり、だからこそ本作は青春ミステリとして素晴らしい作品であると太鼓判を押すことができるのである。

 

イリヤの空、UFOの夏』秋山瑞人

「6月24日は全世界的にUFOの日」その言葉から、浅羽直之の「UFOの夏」は始まった――。

夏休み最後の日、せめてもの想い出にと学校のプールに忍び込んだ浅羽の前に現れた先客、手首に金属の球体を埋め込んだその少女は「伊里野加奈」と名乗った……。おかしくて切なくて、どこか懐かしい――ちょっと“変”な現代を舞台に贈るボーイ・ミーツ・ガールストーリー。

 

 夏を舞台にしたボーイ・ミーツ・ガールは数多くあれど、この作品ほどに完成度の高いものはそうそうない。また「天気の子」や「エヴァ」などの上映により、なぜかセカイ系が今再び注目されている中で*2、今一度読まれるべき作品だと思う。表現、キャラクター、世界観、そのどれをとっても一級品であり、まさにライトノベルの金字塔的作品だと再読をして改めて思い知らされた。間違いなく傑作である。

 

『五匹の子豚』アガサ・クリスティ

16年前、高名な画家だった父を毒殺した容疑で裁判にかけられ、獄中で亡くなった母。でも母は無実だったのです……娘の依頼に心を動かされたポアロは、事件の再調査に着手する。当時の関係者の証言を丹念に集める調査の末に、ポアロが探り当てる事件の真相とは?

 

 クリスティについて深い造詣があるわけではないので確かなことは言えないが、それでもこの作品には彼女の作品の面白さの核となる部分がたっぷりと詰まっているのだと感じる。クリスティ素人にもそう感じさせるくらいには、他の著名な作品で味わえるようなポアロの見事な推理だったり、登場人物の生き生きとした有様だったりが見事にブレンドされているのだ。それでいて読みにくさ、とっつきにくさを感じることなく、一気に全部読ませてくれるので、もしクリスティの一冊目に迷ってる人がいるならば、この作品を強くおすすめしたい。

 

 以上十冊が上半期に読んだ面白かった小説トップテンみたいな感じです。タイトル書いて「面白かったです」で終わりみたいな雑な紹介をするつもりで記事を書き始めたのですが、変なスイッチが入ってしまい長々と語ってしまいました。下半期で書くときはもっと低カロリーにしていきたい。

 それにしてもなんか思ってたより名作揃いというか、伝説のポケモンを集めた厨パみたいなノリになってしまった......。

 

 

*1:未知とのそうぐう機で出てくるハルバルみたいなイメージである。

*2:こう思ってるのは一部の時代に取り残されたオタクだけという説もある。